土曜日夕方、厚子はいつものようにあきらを抱いてきた。

『これからもずっと毎日来て欲しい。事と次第では
このまま坂下の家で暮らしてもいい。韓国に行かずに
ここにいてくれ』

心の底で何かが叫んでいた。今日は用事で遅くなるから
と君子には言ってある。週末は何かと忙しく明け方帰る
ことも何度かあった。君子とはもうこの5年間夜を

共にしたことがない。一方的に彼女は拒否し続けるのだ。
修は毎冬、インドや東南アジアを1ヶ月ほど買い付けの

旅をして春からの販売に備えていたが、週末の飲み癖の
悪さは、やはりストレスの鬱積であったのかもしれない。

「どなたかいい人探しなさいよ」
と君子に言われたこともある。離婚届はいつでも提出
できるように用意してあった。

「奥さんを拘束してはいけません。開放してあげなさい」
と先輩に言われたこともあった。修の浮気が原因で離婚
なら君子の面子も立つだろうし、世間ではとてもよくある

話で誰も見向きもしない。ひょっとしたらそうなるやも知れぬ。
ほのかな期待をしつつ我が家のごとき坂下の格子戸をくぐった。
長い話になった。

「忘れもせえへん5年前の銀閣寺、修さんの祈るような眼差し
に送られて、あれからすぐに東京に出て、もうパスポートも
チケットも持ってたの、言いそびれて堪忍な。皆と同じ

一人旅をはよしてみようと思うてヨーロッパへ出発したわ。
ユースに泊まりながら、スウェーデンからドイツ、オーストリア、
スイスを周ってスペインで彼と出会ったの。在日3世で日本育ち。

おじいさんが韓国で貿易会社を経営してて、一族には日本人の
奥さんも何人かいてはるそうや。日本には深く理解があるから
言うて、写真をいつも見せてくれてたわ。それでも1度別れて

英国からフランスへと旅をしてたら、彼、学校をほったらかして
追いかけて来はったんよ。あと3年、しっかりと学業を全うして
資格を取って是非韓国に私を連れて帰りたいと言うて」

「すごく感動的やんか。映画みたいやね」
「そう言うて泣かはんのよ」
厚子は当時の思い出に瞳が潤んでいた。

「それでとにかく1度日本に帰らして言うて頼んで、心の準備と
他にも色々と準備して又必ず戻ってきます言うて一旦帰国したの。
ほとんど毎日手紙が来るし親宛の手紙も入ってるし、親に打ち明

けて一大決心スペインへ戻ったわ。そして3年。いろいろあった
けど子供ができてもて。いずれにしても生むことに決めてたから。
私独りでも何とか生きていけると思いながらも、やっぱり大変。

母や兄は『京都にいろ、生活の面倒は見るから』と言うてくれはる
けど、彼の愛情もたっぷりと重すぎるほどたっぷりと感じてはいる
んやけど、気が重いんやねそれが逆にまた」

「それは贅沢というもんやで、厚子さん」

「そうかも知れへん。まもなく彼は日本へ帰国してから韓国に
永住する予定。これは間違いないんやわ。周りの人たちは皆
好意的やからと彼は言うてくれるんやけど。ものすごく勇気が

いるの、彼の思いどうりにしたら。それより親子二人でひっそりと
京都で暮らしたほうが、気が楽なような気がするんやけど」

「そうか。難しい問題やな。この子の為にも」