果たして翌朝も厚子は来た。
昨日と同じ秋口の淡い日差しの中だ。
なぜかとてもうれしい。
お客の合間をぬって、

「夕方又来るし、帰りにちょっとでも
寄っていかへん、このすぐ下やし」
「ああ、30分くらいなら」

そして閉店と同時に厚子は現れた。
つるべ落としの夕陽が長い影を作って、
清水坂下へと下った。

東山通りへ一旦出て、消防署の向かいの路地を
奥へ入った所だ。石畳が数十メートル続いてい
て、その一番奥から二軒目の古風な町屋だ。

格子戸をくぐり抜けると2坪ほどの前庭があって
紅葉が植わっている。下が台所トイレ風呂場に
六畳ニ間、二階も二間あって奥に3坪ほどの裏庭がある。

全部で10数坪の小さな一軒家だ。そんな家が狭い石畳
をはさんで10軒ほど、黒塀もあって、とにかくどんな
人が住んでいるのか全く見当がつかない。

居間のテーブルを挟んで座った。熱いお茶が出る。
いい香りだ。あきらを膝に抱いてあやしながら
厚子は語り始めた。

「このこの父親は韓国の人やの。まだ留学生で
スペインのマドリードにいてるわ。ほどのう
帰国して父親の事業を継いで社長にならはる

そうやけど、ようわからんわ。是非、韓国で
一緒に暮らそうと何度もきつう言うてくれはる

んやけど、気が重とうなって、どない
したらええか今すごく悩んでるとこ」

「そうか、今日は時間がないから明日。明日は土曜日
で修学旅行生は少ないからゆっくりと話を聞くよ」

「おおきに。夕方、寄るし。かんにんえ」
「ああ、それじゃ。でも立派なおうちやね」

「亡くなった父のお妾はんのお宅やったらしいわ。
その方も父が亡くなると後を追うように亡くならはって、

ずっと空き家やったんや。伏見稲荷の実家は狭いし、
母も体の具合が悪なって」

「そういうことか。悪いけどもう行くわ。明晩
ゆっくり聞かしてやこの続き」

秋口とはいっても今日はとても暑かった。あきらは
心地よさそうに眠っている。肩までの長い滑らかな髪に、
薄いピンクのカーデガン。あきらは額に汗をかいている。

そっとガーゼでぬぐいつつ京団扇で風を送っている。乳の
匂いと、成熟しきった母親厚子の何ともいえない香りが、
その胸元にひきつけられる。振り払うように修は、

「それじゃ、また明日」
小声でそう言って玄関を出た。季節外れの風鈴の音が向
かいから聞こえる。誰かが打ち水をしたのか濡れた石畳を
修はハタハタと新京極へ向かった。

夜の食卓の時君子が聞いた。
「厚子さん来た?」

「ああ、30分ほど立ち話をした。スペインで韓国からの
留学生と知りおうて、先に出産のために帰国したけど近々
韓国へ嫁入りするそうや。大会社の御曹司らしい」

「そう、だけどとても大変そうね」

「ああ、とても大変そうや。清水坂下の家は別宅らしいん
やけど実家と行ったり来たりして。もう明日には実家の方
これから出発らしいからもう会えへんと思うわ」

修は嘘をついた。始めて君子に嘘をついた。

「そう、残念だけど、やはり落着いた時じゃないと、
なんとなく会いたくないものよね」

修は、お茶漬けにして最後のご飯をかき込んだ。