翌年修は卒業して保険会社に就職をした。
東京での新入社員研修で最優秀の一人に選ばれたが、
どうしても海外買い付けと商売への思いが捨てがたく、

半年で退職して新京極にテナントを借りた。そして2年後、
清水坂の大型土産品店の店頭に2店目を出店したばかりだった。
昼清水を見て夜新京極に入るそういう生活パターンだった。

この頃は生活もかなり厳しく君子は夜のアルバイトに出て
ふたりの間は完全に冷え切っていた。

その秋口の淡い日差しの中で厚子と再開したのだ。

『明日も来るだろうか?この坂のすぐ下に住んでいる。
しかも生まれたばかりの赤ん坊とふたりきりでとは
何か訳があるのだ』

近すぎて心が落着かない。

『実家は伏見稲荷のはずなのに、この清水坂下とは
どういうわけだ。父親は一体誰だ?欧米人のハーフ
でもなく、もちろん俺の子でもない』

夕方閉店して新京極へ向かう。3年坂、2年坂、
高台寺と下り、八坂から四条に出て大橋をわたる。

鴨川土手には等間隔にカップルが座っている。
狭い先斗町を北に上がって歌舞練場から新京極
六角にいたる。急げば30分の道のりだ。

新京極は河原町通りの一筋西のアーケード商店街で、
四条通から錦通り蛸薬師通り六角通りを順に横切り
北上して三条通に突き当たる。

この三条通手前のなだらかな坂をたらたらと言う。
六角広場の東側に誓願寺という寺があって、
向かいがスーパーのサカエ。

松竹座の映画館とにはさまれた六角の角にポップG
というメガネライター屋がある。10坪くらいの
広さの角2坪が修の店だ。ネーミングアクセサリー

のほかインド雑貨も置いてある。すさまじいラッシュ
は夜の7時から9時までの2時間である。

夜6時半をまわると新京極の雰囲気はがらりと変わる。
商店街の空気がピーンと張り詰めてきて、東西南北、
三条通り、四条通り、蛸薬師通り、六角通り、この夜

京都に宿泊している大半の修学旅行生が、夕食を済
ませて続々と新京極に向かってくる。

チラッと三条たらたらの先に学生服が見えた。その
とたんに、東西六角通りと蛸薬師通り。南北三条
から四条から、わずか10数分の間に新京極は黒い

学生服でびっしりと埋め尽くされ身動きできなくなる。
六角広場は集合場所にもなっていて、点呼とざわめき
と学らん集団。とにかく万引きされないように、

よく見張りながらペンダントに名前を彫りまくる。3
台のリューターでびっしり2時間。相当な売り上げだ。

しかしそれも春3ヶ月秋3ヶ月のシーズンの間だけだ。
9時きっかりにすべてが一瞬にしていなくなる。わずか
10数分でがらんとしてしまう。

そして一斉にシャッターが閉まる。知る人ぞ知る、
新京極修学旅行生軍団のすさまじい嵐だ。