「観自~在~菩薩~行深般若波羅蜜多時」
悲しみに包まれたその場所に秋山健吾は居た。
煌びやかな祭壇に飾られた写真を見ても健吾はその現実を受け入れる事が出来なかった。
いや、受け入れるも何もその光景自体まるで夢でも見ているかのようで、そこに座っていても体がフワフワと宙に浮いているようであった。
「舎利子~是諸法空相~不生不滅」
しかしそれを現実だと思い知らせるかのように尚も読経は続いていた。