出逢ってしまったことを後悔するほど愚かじゃない。
そんなところも自分と似てる、そう言いたげだった。
「楽なわけはない。でも彼女を見捨てられるほど強くもない。…お前も思っただろう。相手と同じように、自分の中の記憶も消せたならと」
「それは……っ」
たしかに忘れられるなら、全部消してしまえるなら、苦しまなくてすむのかもしれない。
でもそれじゃ、まるで大切なものから逃げるみたいで…
「記憶なんて無意味で儚い。それに屈するようじゃ、この先の道なんて見えてこない。……かなり険しいぞ、この宿命は」
「…………」
母さんが同じ大学講師という道を決めたと同時に、祖父ちゃんはオレと省吾の様子を見続けるために高校に異動した。
省吾とのトラブルが起きないように、オレには学校への足を遠ざけさせて。
音楽家になってほしいという、希望も重ねてたんだろう。
海外への留学の準備も、ずっと密かに進めてくれていたらしい。
「今度はお前を守ってやらなければと思っていたが、そのせいで省吾にもかわいそうな思いをさせてしまったかもしれない。お前たちの父親は、自分の母親の自殺と父親の不条理な行動に振り回されていたからな。
家庭の雰囲気も崩れていただろうし、お前に対しては憎しみしかなかっただろう。…ずいぶん苦労をさせた」
省吾や父親の苦しみもわかってやれ、そう言ってたのだろうか。
でもオレには、もっと聞きたいことがあった。
「…母さんには、本当に記憶が残ってないのか」
「前にお前を聖音に連れて行った時は、怪我をした孫の実力を見てほしいと頼んだ。彼女は今、海外の音楽大学との取り次ぎをしていてね。あの曲を弾かせるだろうとも、想像がついていた」
「あの曲…」
「悪いがあのKはお前じゃない。分かっていたかもしれないがね」
祖父ちゃんは窓辺に手を掛けた。
「…わかってたよ。それにずっと疑問だった曲に込めた感情も、今の話で全部理解できた」
「そうか…。さすが私と香織の息子だな」
そう言ってまた小さく笑う。
どんな風景を思い出してるのか、その視線は遠くの空を見つめていた。

