第1巻 Sicario ~哀しみに囚われた殺人鬼達~

「取り敢えず、其のままだと彼女...、衰弱死しかねないよ。」


男が明ら様に動揺する。
おいおいそんな顔しないで欲しいな。まるで、僕が何の手立ても無いみたいじゃないか。
女の禁断症状は末期だ。
其れにしてもよく一段階前の症状に耐えられたものだよ。
これが“大人と子供の差”っめやつなのかな。


「ハートの女王...」

「...そんな、顔すんじゃ...無いよ...」


ハートの女王と言うのか...。
組織名と言い、名前と言い...随分本格的じゃないか。
あ、違ったね。“本格的にされているんだった。”

僕はコートの内ポケットから薬の入った小瓶と硝子ケースに入っている注射器を取り出した。
こんな事は予想するまでも無く、解り切っていたので持って来ていたのだ。
衰弱しているハートの女王に歩み寄る。
何故か男から物凄く警戒された。


「何する気ッ!?」

「君は本当に猫みたいだな!!だが犬の様に五月蝿い!!!
見て解らないのか!?折角助けてやろうとしてるんだから其の口縫い付けて黙ってろよッ!!!」


男が口を結んで黙った。
十中八九僕の事を(主に頭が)危ない奴とでも思ったのだろう。だが、他に頼れる人物が居ない...俗に言う仕方が無いと言った所だろうな。
まぁ僕自身、他人に如何思われてるかなんて興味無いけどね。

小瓶の中の薬を注射器で吸い上げ、容量を調節する。
ハートの女王の腕を取り血管を探すが、彼女の肌は死人の其れと同じ白だった。


「解毒薬みたいな物さ。ある程度症状は軽くなると思う。暫らくすれば排泄物と一緒に毒素は体外に出る。」


虚ろな瞳だがハートの女王はほんの少しだけ目を見開いた。


「解毒薬...なんて...」


「無い」とでも言いたいのだろう。
僕は言葉を紡ぐハートの女王の口に、自身の人差し指を添えた。
不思議そうに彼女は僕を見た。カラーコンタクト越しの瞳に僕の顔が映る。


「僕の自作さ。深くは問わないでね。」


僕の瞳にも彼女の間抜けな顔が映った。
薬を投与し僕はハートの女王から離れた。何時までも近くに居る事は無いからね。
男の方へ振り返る。


「で、其の傷の理由を聞こうか。」

「何でそうなんのさ...?」

「何でって...僕が気になったからに決まってるだろ。
君はおかしな事を聞くんだな。」


あ、また変な目で僕を見ている。
そんなにおかしい事を言った覚えはないんだけどな。


「...軍人だ。」


男は不服そうに答えた。


「軍人...ね。」


ちょっと厄介だな。
伯爵への侮辱の言葉を撤回するか。
用意周到な奴だよ、本当。


「どんな奴だったかい?」

「どんなって...」


男はそう言って考え込み出した。
ボキャブラリーが少ないんだね。


「こう、何て言うか...厳つい感じ?」

「いや、僕に聞かないでよ。
あ、フェスターニャ。誰か思い付く奴は居ないかい?」

「お、思い付くと...言われましても...」


フェスターニャも考え込んでしまった。
暫くして宛てが見つかったのか、フェスターニャが小さく声を上げた。


「確か陸軍の部隊長に貴族と繋がりを持っている者が居ると師匠から聞いたことがあります。」

「陸軍か...よし、“あいつ”に任せよう。」

「“あいつ”...まさかドールッ!?」

「何でそんな顔するんだい?的確な判断だと思うんだけどな。」


不機嫌な表情だ。
あぁもう、一体何が不満だって言うんだ。
これだから他人の気持ちってモノは解らない。
健常者なら解るのか。なのに何で僕には解らないんだ。他人の感情のパターンと其の理論は解明されているものを全て覚えたと言うのに...僕は一向に他人の感情が解らない。
他人に感情なんて複雑怪奇なモノなんて無ければ、皆僕と同じだったのかな。
...考えるだけ無駄だ。何しろ洗脳すれば早い話なのだから。