第1巻 Sicario ~哀しみに囚われた殺人鬼達~

手馴れたようにナイフの刃を出す。
ドールは先程まで殴りつけていた通行人など、既に眼中に入ってなかった。

ゆっくり立ち上がると、俺との間合いを詰めてきた。右手に拳をつくり、思いっ切り振りかぶって俺の頭を殴り抜けようとする。俺は身を低くし、その拳を避ける。手に持っているナイフで、腹部を切る。
が、少々踏み込みが浅かったのか手応えが軽い。

つい舌打ちが漏れる。
ドールの蹴りが俺の腹部に入った。防御に入ることが出来ず、俺はまともに受けてしまった。骨の軋む感覚が解る。夕暮れ時で何も入っていない胃から、胃酸が込み上げてくる。食道を逆流して口へとやってくる。酸っぱくて温い、気持ち悪い胃酸を口から吐き出した。


「カハッ...」


歯を食いしばって、ナイフを持っている手に力を込める。
一旦蹴られた反動に身を任せて、ドールから離れた。洒落にならない程痛い。骨が折れていないのが、奇跡なくらいだ。

ドールはまた俺に向かって、攻撃を仕掛けてくる。
俺もドールの方へ走った。次は左手に拳をつくってドールは俺に殴りかかった。俺が2度も同じ攻撃パターンをくらうと思うなよ。
俺はドールの拳を右に身を傾けて、避ける。ドールの伸ばされた腕を掴み、掌が上になるように捻る。そのままドールの肘を、俺の左足の膝で打ち砕いた。有り得ない方向へ腕が曲がるのを確認する。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」


ドールの断末魔が響く。
そんな事など俺は気にしないで、ドールの左肩にナイフを突き立てた。肩の関節に刃が当たっており、深く刺さらない。俺はナイフを1度抜いた。痛みに悶えるドールが拳をつくり、俺に渾身の一撃を与えた。

予想外の攻撃に、不本意ながら背後への攻撃を許してしまった。視界が一瞬クラッシュする。
気が付けば俺は見知らぬ女性の上で倒れていた。女性は不運ながら巻き込まれてしまった様だ。
体は重く、状態を起こすだけでも激痛がはしる。

数m先には、左腕があらぬ方向に曲がって肩から血を流しているドールが見えた。流石にこれ以上は厳しい。
無理に立ち上がろうとする俺を、女性が引き止める。


「死んじゃいますよ!」


初対面に関わらずこの女性はお人好しだな。このような局面でも、こんな事が考えられるのだなと我ながら図太い神経だと思った。

そうこうしている間に、ドールが此方に迫ってくる。このままではこの女性まで巻き込む事になる。この大観衆の目の前で殺人は避けたい。
俺は体に鞭を打って立った。


「ドール。止まれ。」


何処からか聞き慣れた声が聞こえた。それと同時に、ドールの動きが完全に止まった。
大観衆を掻き分けて現れた其奴は、何時ものムカつく笑顔だった。