運び屋の受難




私の中にある一番古い記憶では、既に家族のもとではなく、“にじのいえ”という施設で暮らしていた。


にじのいえでは中学卒業まで面倒をみてもらっていた。

あまりいい環境ではなかったけど、その点だけは感謝している。