泣き叫ぶ訳でもなく、すがりつく訳でもなく。
 ただじっと、二人の顔を目に焼き付けるように。


「・・・さぁて、あたしはこの子たちと一緒に病院に行くわね。ド素人の医者には少し面倒な治療になるから」


 水島はそう言って、ジョージと風間と一緒に“スターダスト”を出て行く。


「彩香・・・」


 思わず漏れそうになる嗚咽を必死にこらえて、桜子は口元を手で覆う。
 まるで抜け殻のようにそこに佇むのは、多分もう、彩香ではないのだ。
 ここにただじっと立っている人間は、荒んだこの街に集うどんな者たちよりも、苦痛に満ちた人生を送ってきて。
 自分たちなんかじゃどうにも太刀打ち出来ないような、巨大な渦に身を浸して。
 たった今それを垣間見てしまったから、桜子は尚更、何も言えなかった。
 この街での、失われた記憶はーー彩香が彩香でいたという事実はもう、彼女にとっては負担になるだけだ。
 彩香を見ていれば分かる。
 彩香にとってこの街は、本当に生きる意味そのものだった。
 だから、何も出来ない自分達がせめて、彩香にしてやれる事は。


「ーー・・・帰るわよ、友香ちゃん」


 微かに震える低い声で、桜子は言った。
 そして、彩香に視線を送らずに店を出て行く。
 友香もゆっくりと、その後に続いた。
 高田は部下たちにここの現場の処理を指示して、壁にもたれ掛かるようにして息絶えているかつての部下であった田崎に視線を送る。
 どうせこの事件も、大きな力によってもみ消されるのだろう。
 この世の中、不条理な事だらけだ。


「車ぁ回してこい、山田」


 ため息混じりに、高田は言った。
 山田は何かを言いかけて、グッと奥歯を噛み締める。
 高田はそんな新人警官に、笑顔を向けた。


「いいから、早くしろ」


 山田は踵を返すと、店を出て行った。
 これでまた、実直で素直で正義感に満ち溢れた青年の心が少し、この街の色に染まってしまったのかも知れない。
 それを思うと、尚更ため息しか出て来ないが。