相惚れ自惚れ方惚れ岡惚れ

それから暫くして奥さんから部長が退院すると連絡があった。やはり奥さんが自宅で部長の世話をするらしかった、だから今度来る時は自宅に来るようにという連絡であった。
それと同時に生活の為に奥さんが働きに出る事を聞かされた。幸い部長の状態は公的機関から面倒を看る人が定期的に来てくれるらしく、その時間を利用して外に働きに出るとの事であった。
奥さんが社会に出るのは実に二十五年振りの事だそうで、この事は私を随分と驚かせた。
「それで部長の奥さんはその後どうしてるの?」
居酒屋で飲んでいる時に和美が私にそう聞いてきた。あれから残業をする事に煩くなった会社が強制的に週に一度早帰り日を作った為、平日にも関わらず私は和美と居酒屋に居た。
「うん、何とか頑張っているみたいだよ。最初は中々体が付いていけなくて毎日覚える事も多く大変だと言ってたけど。まあそりゃそうだよね、何と言っても二十五年振りなんだからさ。でも職場の人が皆良い人ばかりらしく楽しそうにやってるみたい」
「そうなんだ、良かったね。仕事は近くの老人ホームの調理補助だって言ったよね」
「うん、そうだと言ってた」
奥さんは一日フルに働けない為、介護の人が家に来る時間を働く時間に充てていた。老人ホームでの仕事は寝たきりの部長の世話に役立つ事があると決めたようであった。
「でも偉いよね、部長の奥さん」
「うん、偉いもそうだけど・・・正直驚いた、女性って強いなって。なあ和美」
「ん、何?」
「もし俺が部長のように病気で倒れたらどうする?」
「ちょっと、縁起でも無い事を言わないでよ」
私の言葉に和美は真剣な顔で怒ってしまった。
「ごめん、そうだよな、縁起でも無いよな」
私はあれから部長の奥さんが言ったように和美の本音を聞けないでいたが、しかし今回の奥さんの行動に同じ女性として和美がどう思うか気になった。
「でも・・・私だったら働かないかな、外で」
和美は少し考えそう答えた。やはり和美は部長の奥さんとは違うようであった。
「そっか・・」
「うん、私だったら何か家で出来る仕事をすると思う。例えば検品の仕事とか、子供の試験の添削とか。それか私って教員資格を持ってるでしょ?子供を何人か家に集めて塾みたいなのをやるかもしれない」
「え?働くのは働くの?」
そしてその後に続く言葉に私は更に驚かされた。
「うん、あなたが働けなくなってお金が必要になったらね。だけど外には行かない、あなたが心配だから。それに他人にあなたの世話を任せるのも嫌だし、だから家であなたの面倒を看ながら出来る仕事をすると思う」
「か、和美・・」
私はその言葉に暫し茫然としてしまった。
「ちょっと、それも万が一の話よ!それに本当に出来るかどうか判らないからね、あまり今の言葉を鵜呑みにしないでちょうだい」
和美は顔を赤くしながらそう言った、言った後に自分の言葉に照れたようだ。
「それに・・部長の奥さんには申し訳ないけど、私だったらそんなに毎日遅く迄仕事をしてたら怒るからね、お酒だって毎日飲んだら許さないし!判った?」
「あ、ああ判った。それは気を付けるよ」
私は照れ隠しに怒る和美の迫力に呑まれ変な約束をさせられてしまった。
「でも・・・初めてだね」
「何が?」
「あなたがそんな弱気な事を言うの、当たり前と言えば当たり前だけどそれだけ部長さんの事がショックだったんだ?」
「まあね、今迄そんな事が自分の身の回りで起こるとは思ってなかったし、それに今回の事で色々考えさせられた」
「色々って?」
「うん、まあ人生の優先順位かな、大事な事は何かって事。後は女性に対してだね、今回の事で如何に俺が女性を判ってないかを思い知らされたよ、女性の強さというか、本質というか」
「ふ~ん、そうなんだ。ねえ」
「ん?」
「今日は持ってないの?指輪」
「え、今日は持って来てないよ」
「なあんだ、今だったら貰ってあげようかと思ったのになあ」
と和美は子供のように頬っぺたをぷっと膨らませた。
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
そう言うと私は鞄の中をゴソゴソと探し始めた。あれからいつでも渡せるようにと鞄の中に入れておいたのを思い出したからだ。
「あ、あった~、あったよ、和美」
私はそう言うと思わずそのまま和美に小箱ごと指輪を手渡そうとしたが和美は受け取らなかった。
「言葉は?」
「え?」
「プロポーズのこ・と・ば。指輪だけ渡すつもりなの?」
和美は更に頬っぺたを膨らませた。
「こ、こんな所でかい?」
私は慌てて辺りを見回した、回りには大勢の酔客が楽しそうに酒を飲んでいた。
「あら、こんな所だから良いんじゃないの!私達らしくって。それに結婚ってそんなもんじゃないかしら?気取らない、それこそ居酒屋みたいで」
「判った。和美、俺と結婚して下さい!」
私は覚悟を決めそう言うと膝に両手を置き深々と頭を下げた。
「よし!結婚してあげる、その代わり幸せにしろよ」
そう言った和美の目には涙が溢れていた。