「嬉しいってさ。」


自分の声が自分のものじゃないように聞こえて、
本当に私の喉から出たものなのか確かめたくなる。






思い出すのは3年前の春。



高校へ入学した私は真新しい制服を着て門をくぐった。


人見知りをする私に先に話しかけてきたのはあいつだった。


「部活何に入るか決まった?」


これがおはようもじゃあねも

まだしたことのない私たちの初めての会話だった。


私は帰宅部。

特に惹かれる部活がなかった。

あいつは漫画研究部。


ほどよくサボれて部室があってぎちぎちしてない楽さが魅力、だそうだ。


私たちの性格は真逆だった。


甘い物が好きな私と苦手なあいつ。

苦い物が苦手な私と好きなあいつ。

国語は私が教えたし、
数学はあいつが教えてくれた。


1年があっという間に経って
2年になる時にふと気付いた。

気づかなければよかったとさえ

今では思う。



バレンタイン。

「義理チョコだから。」

そう言わなければ渡せなかった。


何回も何回も作り直したチョコ。


あいつは「うわーありがとう笑 普通に嬉しいわオレ0じゃなくてよかったー笑 」

そう言ってその場で食べた。


うまい。そう言って、全部食べた。


ドキドキして

見てられなかった。



2年になってクラスが離れたけれど
私たちは一緒に帰った。

早くHRが終わった方が相手のクラスの前で待つ。


いつの間にか、気がついたら

私たちはそうしていた。



学校の近くにある公園でシャボン玉をした。

午後の黄色がかった柔らかな光がシャボン玉に反射して、
虹色の色鉛筆でぐるぐると描いたようなシャボン玉になった。


冬の寒い日にはあいつの自転車に乗って帰った。

私は耳当てをして、
あいつの耳を私が抑えて。



「あったけえ。」

前向いたままそう言うあいつの笑った顔を私は静かにバレないように見ていた。



2回目のバレンタイン。

本当は去年も本命チョコだった。

そう言って渡そうとした私のチョコは担任の胃袋の中へ消えたのだろう。


渡そうとした時に女の子と話すあいつを見た。


女の子は恥ずかしそうにチョコを渡しながら、好きですと言っていた。



盗み見も盗み聞きもしてしまったし、

義理チョコなんて本来あげない方がいいのではないかと思い、


踵を返して立ち去った。


やり場のないチョコはたまたま廊下で会った担任にあげることになった。



その日の帰りにあいつは言った。


「オレ告られた。」

「ふうん。で?」


それしか言えなかった。


「断ったよ。」


何でかは深く聞かなかった。

聞けなかった。


断る理由があるのだと知りたくなかったから。



「部活何に入るか決まった?」


あの日から3年が経った。

3年目も私たちは相変わらず、


国語は私が教えて、数学はあいつが教えてくれて

たまに授業をサボったり、

水泳部が休みの日はプールに
足をつけながら日光浴をしたりもした。



これだけ一緒に居たのだ。

3年間毎日。


ずっと一緒に居たのだ。


分かるに決まってる。



「お前好きなやついんの?」

いるさ。

「いないねえ。」

「ふーん。」

もっと何か言えよ。

「あんたいるんでしょ。」

「えっ?何で?」

「何でって…見てたら分かる。」

何でかなんてお前が考えることだ。
何で好きな人がいると分かったか、

よく考えてみろ。
国語の苦手なその頭で。
数学の得意なその頭で。

「だれ?」

「………3組の村井さん。」


ああ。あの子か。



そしてあいつは言ったんだ。


「来週の卒業式までに告るわ。」


なんで。

「いいね、応援する。」


なんで。


なんで。


なんで私じゃないんだろう。

なんで応援するとか言ってるんだろう。

なんでもっと早く何かしなかったんだろう。


なんでなんでなんで。


なんで。



それからの1週間は長かった。


その間もあいつが選ぶ帰り道の共は私で、

話題は村井さんのことで。



あいつが告る宣言をして6日。

告れないまま終わった6日目。



「村井さんを見ると何も言えなくなる。」

「何でこうなんだろうな…昔から。肝心なことは言えない。伝えたい人には伝わらない。何でだろうな。」



真逆だと思い続けてきたあいつと
同じ境遇に立っていた。



何でだろうね。

伝わらないね。



「なあ。お前村井に言ってくんない?オレ別に付き合いたいとかじゃないんだ。ただ伝えて、終わりたい。この高校生活を。こんなんで頼って悪いけど、頼む。」



本当にこいつってやつは。


「いいよ。」




あいつが告る宣言をして7日が経った。



私たちが最初の言葉を交わしてから3年が経った。


関係は変わらず、前にも後ろにも動かなかった。


私は村井さんを呼んだ。



「あのね、好きなんだって。伝えて欲しいって言われたの。」


何で私が。

何やってるんだろう。



開け放された窓を見る。

白い桜の花びらが廊下に入り込もうと

ふわふわと踊っている。


足元に落ちた花びらを見つめた。



きっと教室に行けば

いつも通りあいつが待っているだろう。


1つ違うことと言えば、

私もあいつも卒業証書を持っていて、

あいつが待っているのは

今日ばっかりは私ではなく

私の発する言葉だということ。



胸がズキズキする。


これは何だろう。

ずっと考えていた。


あの時気付いた瞬間から。

気付いた瞬間からこの痛みはそこにあって、
だからこそ、この気持ちに気づかなければよかったと思ったのだ。





立ち止まったままぼんやり考えていると


足元に落ちた花びらに涙が落ちる。


窓の外からは卒業を祝う声や

記念撮影のシャッター音が聞こえるけれど、


廊下に立っているのは私だけで


ポタッという涙の落ちる音も

私には聞こえた。





泣いてしまった。

でも何とかなる。



卒業式だから。



教室のドアを開ける。


私の机に腰掛けて窓の外を眺めるのは
3年間ずっと隣にいたあいつだった。

前髪だけをワックスで軽く立てた
短い髪の毛は3年間変わらなかった。

身長だけはものすごく伸びた。

大きな手はいつも優しかった。


3年間ずっとずっと大好きだった。


あいつが私に振り返る。

ここまでは3年間何も変わらない、いつものことだけど、

今日に限って私は言うのだ。


大好きなあいつに。




「嬉しいってさ。」


「ほんと?やべえ。村井さん帰っちゃうかな?まだいる?」



うん。まだいるよ。

答えようとしたけれど、うまく言葉にできなかった。

代わりに桜の花びらにも負けないくらい大きな涙の粒がボロボロと頬を伝った。





「何泣いてんの。」


あいつは心底不思議そうな顔で私に聞く。





涙の言い訳は考えてある。




「卒業式だから。」


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