放課後の職員室

「あー、白河ちょっとまて」

担任の斉藤に呼ばれ振り向く。

「悪いんだけどこれ、科学の深見先生に届けてくれないか」

手には封筒に入った書類。

「別にいいけど・・・・」

「たぶん準備室だと思うんだよなー・・・深見先生いつもあそこにいるから」

「分かった」

「じゃ、頼んだぞ~」

そう言って手渡された書類を持って白河慧は職員室を出た。


科学室は家庭科室とか美術室とか、そういう特別教室ばかり集まった棟にあり、
準備室は科学室の隣にある実験器具なんかが置いてある部屋だった。



生徒の居ないガランとした教室が並ぶ廊下を歩いていく。

深見・・・科学の深見・・・と、慧は考える。

20代後半だろうか?下の名前は確か・・・・さき・・・とかなんとか。
白衣を着て、長い髪をいつも地味にまとめている姿。

理系コースの慧は何度も彼女の授業を受けていたものの
まともに会話した事は一度も無かった。



グラウンドから部活の声が響いて聞こえる薄暗い廊下。
突き当りの科学室に近づいた時に微かに人の声が聞こえてきた。

ああ、先生いるんだな・・・と、きちんと任務が遂行出来そうに思えて慧は安心する。
居なきゃいないでまた職員室に戻るなり深見を探すなりしなければならないだろう。

「・・・や・・・・・・くん!・・・めて・・・・」

「・・・・・んせー・・・・こっち・・・・て・・・・・」

(?)

――ガタン!!

何かがぶつかるような音がして、慧は眉をひそめた。



「ほらせんせー、暴れると痛いよ?」

科学準備室の前まで来ると中の会話がよりはっきりと聞こえる。


「高平くん・・・・」

(たかひら?5組の?)


「痛いの嫌ならさ、自分で脱いでよ」

「どうして私にこんなこと・・・・・」

「どうして?自分から誘惑しといてよく言うよね」

「そんな事してな・・・」

「してるよ?・・・・・無意識なんだ、罪重いね」

「高平く・・やっ!はなし・・・・!」

――ガラ。



突然開かれたドアと現れた人物。
ふたりの視線が慧に注がれる。

実験器具が入れられた棚に押し付けられた深見は、高平にメガネを取られ
手首をつかまれている。


「あー、おとりこみ中悪いんだけどこれ・・・・斉藤に頼まれたモン持ってきたんだけど」

「・・・・白河くん・・・・・・・」

ツカツカとふたりの前に歩いていく。

「ハイ、せんせ」

高平を無視して、慧は書類を差し出す。

「あ・・・・・ありがと・・・・・」

「・・・さっき離してって言ってたの聞こえたんだけど」



腕を掴んだままだった高平はそこで手を離した。

「白河・・・・・」

「今なら誰にも言わないよ」


そこではじめて高平を見たが、相手は予想外にもふっと笑った。

「邪魔入ったからさ、またねセンセ」

言うと咲の顎のラインを人差し指でなぞった。
それは一瞬のしぐさで、指はすぐに離れていく。




「はい、これ返してあげる」

高平は深見のメガネを顔に戻すと、慧に向き直る。
182センチの慧とたいして変わらない目線の高さだった。

「7組の白河くんだよね?君の事なら良く知ってるよ、有名だもんねこの学校じゃ」

つい今呼び捨てにした名前を、わざわざくん付けで言い直される。

「言いたきゃ言っていいよ・・・困るのは先生だろうけどね」

言いながらドア口へ歩いていく。

「じゃ、またね。せんせ」

そう言うとそのまま出て行く。



足音が遠くなると咲が口をひらいた。

「あ、あの・・・ありがとう白河くん」

「別に何もしてないからいいけど・・・・・先生大丈夫なの?」

「え、大丈夫って何が?」

「うで。結構強く掴まれてなかった?」

「え?あ・・・・」

見ると掴まれた部分が赤くなっている。

「あー、でも平気だよ・・・・」

へらへらと笑う咲。

慧は何も言わずに要冷蔵の薬品が入った冷蔵庫の冷凍室を開けると
保冷財を取り出して自分のハンカチを巻いた。



「とりあえず冷やしたら?」

「ありがと・・・」

「よくあんの?」

「え?」

「いや、今みたいなの・・・・初めてじゃないって感じだったけど」

「・・・・高平くんは何回か・・・・でも、今日みたいなのは初めてだから」

「どういうこと?高平はって、他にもいるの?」

「からかわれてるだけなのよ、ふざけてるだけ・・・・」

「今のが?」

「・・・だから・・・今みたいなのは、初めてで・・・・・」

「学校には言ってるの?」

「・・・いいのよ」

「いいって?」

「私が・・・・ぼーっとしてるのが悪いから」

「・・・・・・ま、学校なんてそんなもんか」

「ごめんなさい・・・・・・・」

「いや、なんで謝るんだよ・・・先生は別に・・・悪くないだろ」

それでも顔を上げない咲を覗き込む。

「ご、ごめん白河くん・・・・書類、ありがとね」

言うと準備室の奥の机の所に歩いていってしまう。

「別に、怒ってるわけじゃないんだからさ・・・・・」

「・・・・・・・」

「じゃ、とりあえず俺行くけど・・・・・あんましひとりにならない方がいいよ。
高平もまたとか言ってたし」

それに、と慧は思う。
あの口ぶりだと、これで諦めたとは考えられない。

「うん・・・・ありがと」

慧の方を見ずにそう言った咲を残して慧は静かにドアを閉めた。

早足で階段を下りてゆく。
姫華の不機嫌な顔を思うと、その足は無意識に急くのだった。