昔、お母さんが言ってたことが二つある。
一つは、自分が人にしてあげたことは3日経ったら忘れること。人に自分がしてもらったことは一生忘れないこと。
もう一つは、なにか人にしてもらったりした時はごめんなさいじゃなくて「ありがとう。」と言うこと。迷惑をかけたときや、悪いことをしたと思ったときはきちんと気持ちをこめて「ごめんなさい。」と言うこと。

今日はお母さんの命日。私のお母さんは私が7歳の時に病気で亡くなった。それからは3つ年上のお兄ちゃんとお母さんの方のおばあちゃんとおじいちゃんと一緒に住んでいる。お父さんは単身赴任中で家にはいない。相当お母さんがこの言葉を私たちに言っていたのだろう。まだ7歳だった私も、10歳だったお兄ちゃんもこの言葉をかなり良く覚えている。ちなみにお兄ちゃんは男たるもの…みたいなこともよく言われていたらしい。

お母さんが亡くなる前の日は土曜日だった。お見舞いは月曜日と水曜日と土曜日は必ず行くと決まっていたけど、お兄ちゃんがサッカーを始めたため、お見舞いは月曜日と水曜日と金曜日には必ずと変更になった。おばあちゃんは毎日のようにお見舞いに行っていたけれど、私とお兄ちゃんは習い事があったりと行けないことが多かった。亡くなる前の日もそうだった。
私はたまたまプールが休みになったためおばあちゃんと一緒にお見舞いに行った。けれど、お兄ちゃんはサッカーがあったため行けなかった。そしてその日の夜中にお母さんは亡くなった。お兄ちゃんは「生きているうちにお母さんに会ってあげることができなかった。」と、とても後悔していた。
それからお兄ちゃんはサッカーもやめて、優しくて元気なお兄ちゃんから、優しくて大人しいお兄ちゃんになってしまった。今では優しくて大人しくて笑うお兄ちゃんにまで復活した。

命日は必ず家族全員家にいるのが決まりだ。お父さんも意地でもこの日は帰ってくる。私も学校からまっすぐ帰ってくると居間に座っておばあちゃんのむいてくれたリンゴを食べていた。すると、おばあちゃんがなにやら分厚いノートを持ってきた。
「春ちゃんはね、あんたに似て文章書くのが好きでね。よく小説を私に隠れてこそこそ書いては机のひきだしに隠してたのよ。でもね、それが片付けてたら出て来て、一冊だけ和ちゃんにって書いてあってね、裏表紙見たら、高校生になったら役に立つかなぁー?って書いてあったから、遅れたけど渡しとくね。」

私はその本を受け取ると裏表紙を見てみた。
”和ちゃんが素敵な高校生になったら役に立つかなぁ、と思って。お節介かもだけど、和ちゃんの青春のお手伝い。”
うーん。素敵な高校生って言われたらそうとは言えないけど…青春のお手伝いってお母さんなかなかロマンチスト。
そんなことを思いながら表紙を開けると…
”未来を見ることができないなら、未来をいい方にする努力をしよう。”
お母さん。さすが。お母さんの言葉はいつもどこか哲学的だった。それが本を書く趣味から来ていたなんて…