気づいた人もいるかもしれないけれど、私の家には両親はいない。

2年前に事故死して以来、兄と二人暮らしだ。

特に苦痛があるわけでもないけど、2年たっても二人とも料理できないというのだから、そこに関しては難関といえるだろうな。

。東京にいたころは親のご近所付き合いがよかったおかげか、近所の人が助けてくれた。

だけどまだ学生・・・しかも働けるのは兄だけで、生活に必要なガス・電気・水道代はもちろんのこと、家賃を払っていくのはかなり厳しかった。


大家さんもとてもいい人で、うちの事情も理解してくれてたから幾分かは安くしてくれた。だけどその優しさが辛い時もあった。


マンションの部屋の契約更新を機に、東京の友達に別れを告げ、母の親戚のいる北海道に引っ越してきたのだった。


家賃を払う必要もないし、ガス・電気・水道代も母の妹である叔母さんが受け持ってくれた。


本当に私たちは恵まれていると思う。兄も優しく、過剰な気もしなくもないけど私を大切にしてくれてる。まあ、すなわちシスコン。というやつだろう。


しばらく歩くと、城壁かってぐらいの大きな門が見えてきた。ここが私たちの新しい学校。


「ここかー・・・城ヶ丘高校および大学付属高校・・・」


名前と外観が一致してるあたり間違いってことはなさそう。


ここの手配も叔母さんがしてくれた。兄と別れた場所に行くのは不安だろうという叔母さんの心遣いから大学付属の高校にしてくれた・・・のだと思いたい。

入学(兄はある意味編入)試験で2人ともトップを取れたため、学費は免除。やったね。


私も高校生になったからやっとバイトができるし、兄の負担にならなくても済む。いつまでも兄のお荷物なのはやはりいい気はしない。まあ、兄がどう思ってるかは知らないんだけど。


校門の前に立つと、舞い散る桜と新しい出会いに希望を持つような子供の顔。そんな子供を見守る慈愛にあふれた親の横顔がみえた。


2年。たった2年前までは私だって例外じゃなかった。悲観的になるのをこらえようと目に少し力をこめる。

後ろを振り向くと兄が心配そうな顔で私を見つめていたけど、大丈夫。と笑って見せた。


「じゃあ俺大学のほう・・・行くな」


大学と高等学校じゃ入学式の日付は違う。なぜ兄が大学のほうに行くかというと、まあ、後で分かる。


「行ってらっしゃい。がんばってね。お兄ちゃん」


兄は微笑を浮かべながら私の頭を優しく撫でてから、私に背中を向けた。


私も、兄の背中が見えなくなるまでずっと見送っていた。


兄が曲がり角を曲がると、私も校門の向こうに足を踏み入れた。


もちろん、目的を忘れてはいない。


ショタ系男子との出会いに期待を膨らませ、入学式のやる体育館に向かう。


桜の花びらが私の元へ誘うように、7人の少年少女の周りを舞ったことに私はまだ気づけないでいた。