ワンコと私







「――あと10分ぐらい余裕あるかな…」



昨夜と同じ場所に立つと、透はそう呟く。あの日、突然の事だったのにも関わらず、よく時間を覚えてるなと思った。
よく分かったね、って言ったら「あぁ、まぁ勘だよ」って言う。やっぱりこの男は馬鹿だった。



「でもホント、よく見つかったもんだなぁ…」

「うん、オレもそう思う」



詳しい事は昨夜聞いていた。

何でも、「空間術」という術について詳しく書かれた資料が見つかったらしく、それを読み進めるうちに二つの世界を行き来する方法が分かったと。透はは「柚木さん達には本当に感謝しないとな…」って呟いていた。

ただ、行き来すると言ってもそれは「式」という物が書かれていた場合の事であって、私の場合は偶然の出来事だから元の世界に帰ったらもうここへは戻ってこれない。

「美希の体に式を書いていたら別だけど…」って透は苦笑していた。



「そろそろだな。美希、木の前に立って…って美希?」

「……」



戻って来れないのか…。不意にそう思った。

そりゃあ、私にはこの世界で生きていく自信なんて物はないけど。

透が私を叱ったあの日から、もう一度自分をやり直そうと帰る決意を決めた。そしてこの世界の恐ろしさを身を持って知ったとき、切実に帰りたいと、帰れる事を願った。

今もその思いは変わってない。でも違う…。



「おーい、美希?」

「ハッ!ご、ごめん。なに?」

「木の前に立ってって言ったんだけど…、大丈夫?」

「だ、大丈夫だし!」



気付いてしまった、自分の思いに。透に対する自分の想いに。

帰りたいけど、帰りたくない…そう思ってしまってる。

それを言ってしまったら、何をまた甘えた事をってまた呆れられてしまうかもしれないから、そんなことは絶対に言わないけど。



「オレも初めてだから、とにかく慎重に確実に術の準備をする。だからそろそろ始めるよ」

「うん、お願い」



そう言って直ぐに、目を閉じ、右手の人差し指と中指を合わせ、それを口元にそえて何やら小難しい呪文のような言葉を口にしだした透。目の前に立つ彼は、とても真剣で少し眉間にしわを寄せながら目を瞑っているその姿に、思わず見とれた。

最初は嫌いだった。思えば彼の事を「風見透」と呼んでいた。

格好は見るからに怪しいし、一々ムカつくことを言うし、とにかくコイツとは馬が合わないと思っていたのだけれど。



「……」



話し掛けられる雰囲気じゃなかったから、黙って透をボーッと見つめていた。
不意に開けられた目。

あ、目が合った。ドキッと跳ねる胸。

再び閉じられる目。それと同時に胸が切なくなる。
あぁ、もうすぐお別れか…って。



「………ありがとう」



独り言のように呟いた。

透が呪文を唱え始めて始めて何分経っただろう。実際はまだ1分程度かもしれない。

未だ唱え続ける透に、続けて呟くように言った。

返事とかは要らないから…。



「此処に来て良かった。恐い思いもしたし、まだまだこの世界の事は知らないけど、結構好きだったよ」

「……」

「ありがとう、透。今度は変な男に捕まったりしないで、自分をしっかり持って此処の世界の人達みたいに精一杯生きていく」



出来ればもう少しだけ此処に居たかった。透の側に居たかった。

でも言わないよ、もう決めたから。



「…っ…」

――ポタッ…

「…!」



終わったのか、口を閉じた透が再び目を見開いた。それと同時に、視界が徐々に白へと変わる。

最後は笑ってお別れをしたかったから、涙を拭う事もせずにそのままニカッと笑ってやった。



「ありがと、透」

「美希…」


アンタの前で私は一体何回泣いたんだろうね。

そんなアンタに最初で最後の…



「好、き…」
「…!」



心からの告白…。

バイバイと手を振ったのを最後に、周りが完全に真っ白になった…――






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