翌日、僕は誰よりも早く研究室に着いた。
相変わらず散らかりっぱなしの室内を、少しでも綺麗にしたかったのだ。

別段、僕が潔癖性でも、綺麗好きなわけでもない。

その証拠に、僕の部屋はお世辞にも綺麗とは言い難く、時折来る母に

「全く!ゴミも捨てられないの、あんたは?古い本に夢中になるのは良いけど、10分でもいいから片付けに使いなさいよ!こんなに狭い部屋をゴミで更に狭くして、あんたはなにがしたいんだか…」

等と嫌味を言われているのだから。

ただ、貴重な資料等は大切に扱ってきたので、それが雑に扱われているような錯覚を覚えて落ち着かないのだ。

床に置かれた書物を、年代別に並べ直し、教授のデスク横にある本棚へと戻す。

読んだら戻せばこんなことにはならないのに。

手に取った物を、面倒臭いのか、教授は必ず元の場所には戻さない。

大抵がデスク脇の、書物や書類が重なった上に無造作に置いてしまう。

それがたまに雪崩を起こすと、教授は新たな紙の塔を築き始める。

何個も出来上がってる塔を一つずつ片付けていたら、ヒラリと一枚の紙が床へと滑り落ちた。

手に取ると、墨とは違う黒い何かで全体が真っ黒く変色していた。

唯一残った白とは言い難い部分には『覗くなかれ』と書いてある。

黒い部分に文字があるのかと思い、蛍光灯に透かしてみると、うっすらと文字が浮かび上がった。

『深淵の縁を覗くなかれ』

そう書いてあるように見えた。

何の事だろうと思いながら、その紙をファイルに挟んで棚へと戻した。

その時何故か、ファイルを持つ右腕に、ざわざわと鳥肌が立った。

窓が開いていて、冷たい風が微かに吹き込んでいた。

そのせいだろうと気にも止めず、僕は作業に没頭していった。

おかげで、教授が来たときには粗方片付けも終わり、床に出来上がっていた紙の塔は姿を消していた。