劉表は北の曹操の肥大化と東の孫権の興隆によって、
防備を固めるべくベテランの劉備を受け入れて、
要衝の新野城の防備を任せる。が、劉表の病死と共に

跡目争いがおき、これは好機とばかり曹操の大軍15万
が南下してきた。跡目は軟弱な弟の劉宋に決まり、
抗戦派の長男劉埼は下野した。この時劉備は

全くの蚊帳の外、気付いた時はもう劉埼が曹操に降伏を
決めた後だった。劉備側からすれば劉宋の裏切りもいいところだ。
孔明が進言をする。
「いま劉宋を討てば刑州は奪えます」