この記憶堂には秘密があった。

記憶堂は古い本を扱うばかりの本屋ではない。
その名の通り、人の記憶を扱う店なのだ。

人は時として人生で大きな分かれ道を選ばなくてはならないことがある。
その後の人生を左右しかねない大きく大切な選択だ。
人は悩んで、時には簡単にその道を選んでしまう。
そしてその人生を歩んでいた時に、思うのだ。
『あの時、もう一つの選んでいない道の人生を選択していたらどうなっていただろう』と。

もしもあの時に、もう一つの道を選んでいたらどんな人生になっていたか。
もしかしたら自分が選んだこの道は間違いだったのではないだろうか。
もう一つの道を選んでいたら、もっと幸せになっていたのだろうか、良い人生が待っていたのだろうか、大切な誰かを救えたのではないだろうか――……。

本来なら、想像するだけで終わること。しかし人は時としてそれを激しく後悔し、何も手が付かなくなるほどに心に想い描くことがあるのだそうだ。
その思いは強く、強く――……。

そんな人たちは何故か必ずこの店に辿りつく。
この記憶堂は選ばなかったもう一つの人生を、記憶の本を通して視ることができる不思議な店であった。
その本は、記憶の本と呼ばれている。
そして、その本を扱えるのはこの記憶堂の正式な血筋で、その能力を受け継いだ柊木家の人間だけであった。
龍臣はゆっくりと腕を上に伸ばして伸びをした。

「さて、修也。そこ片づけて。もう少しでお客さんが来る」

龍臣の断言した言い方に修也もハッとする。

「また、本が落ちたの?」

修也の問いに龍臣が微笑み、その手には革表紙の本が一冊収まっていた。
記憶の本だ。
これから来る客の本なのだろう。
もう一つの人生を視たい、と強く思っている人が現れるとき、必ず店の本棚から一冊本がぱさっと落ちるのだ。
記憶の本は、もとから店に置かれている物ではなく、なぜか突然本棚に現れて床に落ちる。
表に本のタイトルはなく、茶色の革表紙があるだけ。中をめくっても他人が見ればただの白紙なのだが、それを求める人には文字が書かれているようだった。

それがこの記憶堂の秘密である。

そして、龍臣にはその客が近づいて店にやってくるタイミングがわかるようなのだ。
修也がソファーから立ち上がり、カウンターの横にある二階へ続く階段を途中まで昇ると、見計らったようにガラッと店の扉が開く音がした。