砂糖漬け紳士の食べ方



そして、入稿日前日。

午後9時を過ぎてまばらになった編集部で、アキは編集長デスクの前で立ちつくしていた。

いわゆる、居残り残業だ。


何度も打ち合わせを重ねた記事内容だったが、その言葉回しや内容になかなか決裁が落ちないでいる。


その訂正が、実に15回。




16回目の原稿は、もはや記事を書いた彼女にも最初と比べてどこをどう直されているか分からない。


ここ最近ずっと眉間にシワを寄せている編集長は、彼女の提出した原稿を丹念に捲る。


アキの視線が集中する中、いよいよ最後の一枚がパチンと太い指で弾かれた。




「ごくろーさん」


今までのキツイ顔つきをガラリと変え、編集長がニッと歯を見せた。

アキの弱い視線が目の前の笑顔に向けられる。


「これならいいだろ。データで俺のところに送ってくれ」


喜びよりも先に、大きな安堵感が彼女の肩の力を抜けさせた。


「はい!」


何度も頭を下げ、編集長から原稿を受けとる。


力の抜けた口端にじわりと嬉しさを滲ませ、アキは自分の席へ飛ぶように帰る。

すぐさまパソコンで原稿のデータを編集長へ送り…。



「編集長、データ送りました」

「おう、サンキュー。
入稿ギリギリだが、まー、そこは抜かしてもいい記事が出来たな。
伊達大先生も、これなら文句言わねえだろうよ」



編集長の豪快な笑い声に
チクリと、何かがどこかに引っかかった。

だがアキは自分の想いにふけるよりも先に、「そうだといいんですが」と当たり障りのない返答を口にしていた。

この悪癖は、社会人生活の賜物かもしれない。



メールアイコンがスルリと飛び去った画面から、彼女はふと目線を外した。

パソコンの影に隠れるようにあったのは、伊達から貰ったシャンパンチェアだった。


「………」



細い針金を曲げて作った椅子の足は、ところどころ歪んでいて、いかにも手作りの色を見せていた。

…もしかしたら伊達は、こういう手工品は意外と苦手だったのかもしれない。




───シャンパンチェアって言うんだ…君にあげるよ。



そう言って、彼女の手にシャンパンチェアを渡した伊達は、確かに薄く笑っていて

出版社に訪ねてきたあの日の無表情とはまるで違っていた。




アキは、その小さな椅子を手に取った。

…不器用な造り。だけど、とても優しい。


二度三度、その冷えた針金を指で触れると、何かで息が詰まった。

無理やりツバを飲み込めば、渇いた喉が張り付いていく。
重苦しい苦味が、ずっとそこにあったように。




灰色の街並みに消えていった背中を見た時から、その苦さはずっと喉にあったのに彼女は気づかないフリをしていた。


吐き出せば楽なのに、それをしないでいた。


蛍光灯の光を受けてシャンパンチェアの一部がチラリと光る。

その鈍い光は、彼女が落とさなかった涙に似ていた。