しかしコース料理が始まると、アキの不意な高揚感は一転して地に落ちた。
フレンチレストラン。ここはフランス料理の店だ。食べる時に使うのは、もちろんナイフとフォークである。
テーブルセッティングとして、既に大小様々なナイフとフォークが順番に揃えられていた。
アキもある程度使えるのだが、こう改まった場所で堂々と使えるほど慣れているわけではない。
しばらく皿の上の野菜を見るアキに、フォークを手に取った伊達が彼女の緊張に気付いた。
「…君、右利きだったね?」
「え?はい」
「人を刺す時に持つ方が、ナイフだよ」
なんとも物騒なマナーの教え方に、アキはにやけた。
「分かりやすいですね、それ」
「だろう?」
それを皮切りに、彼女の緊張は徐々に解け始めた。出されたサラダが美味しかったのももちろんある。
けれどそれ以上に、伊達との会話は、数が少なくも穏やかなものになっていたからだ。
枝豆のポタージュに続き、小さいパンが二つほど出された。
口に甘いシャンパンも進んだ。
「こちら本日の魚料理、塩漬けレモンと鰤のエスカベッシュでございます」
そして伊達は魚料理が来るなり、ウエイターに箸を2膳頼んでくれた。
嬉しくも「フレンチレストランでお箸なんて頼んでいいのか?」という疑問を持ったアキに
彼は「食事なんて楽しんで食べるのが一番だから」と薄く笑ってみせた。
赤いハイヒールがこそばゆく感じる。
ときたま沈黙があっても、店内に満ちる華やかなクラシックのおかげでそこまで苦にもならない。
魚料理を早々に平らげた伊達が、頬杖をしながらアキの皿を見ていた。
視線に気づき、彼女は咀嚼しながら慌てる。
「すみません」
「うん?」
「私、食べるの遅いですよね」
伊達の切れ長の目が、ゆっくりとすがめられた。
「…いいよ、ゆっくり食べなさい」
まるで、子供の食事を眺める父親のようなセリフだった。
しかしそこに含まれた穏やかな声色に、アキは咄嗟に魚肉を飲み込み間違いそうになる。
彼の薄い唇が、フッと歪んだ。
「いつも思ってたけど…君は本当に美味しそうに食べるね」
「は、はい?そうですか?」
「うん。見ていて、楽しい」
ごく、ん。
今度こそ、魚を喉に詰まらせるかと、本気で彼女は思った。
果たして今の言葉に、お礼を言うべきなのか、否かアキには分からない。
ただどうしようもなく恥ずかしくて、それから彼女は自分の皿だけを見て魚料理を終えたのだった。

