砂糖漬け紳士の食べ方


彼の部屋は、やっぱり初日と同じくひっそりとしていた。

それでも部屋中に暖房を効かせているおかげか、外とは別世界のように暖かい。
もし家主が裸足のままでいたとしても。



「お茶淹れるから座っててくれる?」


リビングに彼女を促し、伊達はキッチンへと裸足の足を向けた。



「あ、いえ、私が淹れます!」

「…いいよ、最後だから」


伊達の言葉に、今までアキを満たしていた高揚感は一気に削がれた。

その証拠に彼女の溢れんばかりの笑顔は瞬く間に凍りつき、消えてしまっている。



そうだ。
今日のこの時間が終わったら、もう伊達とこうして会えない。

それは編集者として当たり前だ。そうやって次の取材担当へと移っていく。



アキは、原稿が入った鞄を見下ろした。

そしてそれと一緒に、大量のスイーツの袋も…。


…これを渡したら、伊達さんの取材担当は終わりになってしまう。

いや、これでいいんだ。ちゃんと感謝の言葉を伝えるために来ただけなんだから。




「はい、紅茶でいいね?」


暗さを帯び始めていた彼女の思考は、伊達の穏やかな声と紅茶の華やかな香りで上書きされた。



「ありがとうございます…」


彼はソファにどっかりと座り、紅茶のカップを自分の方に引き寄せる。

そしていつもの通り、角砂糖を3つ放り投げて…。




「原稿」


スプーンで湯面を回しながら、彼は今までになくぶっきらぼうな声をアキへと飛ばす。


「へっ」

「…原稿、出来たんだろう。見せて」


言われ、アキは手の中の紙束を彼へ手渡した。

紙の表面は外気ですっかり冷えていて、まるで現実そのもののようだった。



伊達は紅茶を一啜りしたのち、渡された原稿を捲り始める。



カチャリ、と静かにカップがソーサーに触れた。

その微かな音さえもこのリビングでは大きく聞こえる。



アキは紅茶も飲みもせず、ただ目の前の伊達を見つめていた。

彼の表情に、動きはない。



しばしの沈黙がリビングを包んだ。


しかしそれは今までのような、言葉に詰まった故の重苦しいものではなく

緩やかな時間の流れが滞留しているかのような錯覚すら覚えさせた。



そして、


「…大分時間をかけたんだろう?」


伊達がようやく、原稿から目をあげた。


アキは安堵のため息を漏らした。
彼のこの反応なら特別に悪くはならないだろう。



「はい、編集長に10回以上はボツを食らいました」


その素直な懺悔に、彼が静かに笑いを含んだ。


「そう……いい上司だね。君が自分でこれを完成させるまで、根気強く待っていてくれたんだな」


パサリと、原稿がテーブルの上へ置かれた。



「いい記事をありがとう、アキさん。
…でもこれ、発刊する前に部外者の私に見せていいのかい」


アキの表情が咄嗟に固まったのを見るなり、彼は薄く笑った。



「いいよ、黙っておくから」



蘇った彼との談笑は、こそばゆく彼女を撫でていく。

伊達が乾いた笑い声を微かに漏らす度に、その切れ長の目が自分を捉える度に、アキは自分の手足にピリピリと痺れる快感を感じた。



…そうだ、この感覚も、取材が終わったら消えてしまうんだ。

もったいない。

彼女は、確かにこの時そう思った。



もったいない。
叶うなら、ずっとこの快感を味わっていたい。


編集者でもファンでもない、一人の女の子として、目の前に座りたい───




その時になって

彼女はようやく、
彼に求められたいと思っていることを自覚した。


それはアキの人生に今までなかった感覚だった。


これまで、ただ片想いをして、自分の一方的な好意を楽しんでいただけ。

いつか『理想の王子様』が自分を好きになってくれるという甘ったれた理想を、一人で毎回打ち消しながら。





アキは紅茶に手をつけないまま、目の前の彼を見た。

急な沈黙に、伊達も同じくカップから目を上げる。



視線が、絡まる。




「…取材は、以上になります」


彼女の唇は、想いと反して緩やかな半円を描いた。

…悪い癖。本当に、悪い癖だ。




「今まで、お世話になりました」