ずっと喉に張り付いていた苦味が
この時になってようやく、
身体の中へ、心の真ん中へストンと落ちていく。
彼女の華奢な手が、小さなシャンパンチェアを握りしめた。
静かに
けれど今までになく、強く。
「お疲れ桜井ー。どうだ、今夜打ち上げ行かないか?」
彼女の背後から、軽快な声が重なった。同じく残業をしていた中野だった。
彼の手がお猪口の飲み口を真似る。どうやらちょうど残業が終わったらしい。
アキは、入稿明けとは思えないほど快活な笑顔を浮かべて中野を見上げる。
「私、これから行かなきゃならないところがあるから」
思いもよらない断りの理由に、彼が目を見開いた。
「え…これから?だってもう9時過ぎてるだろ」
彼女はそれでも立ち上がる。
中野の不穏な視線なんてものともせず、原稿を鞄に入れ、机に散らばっていたペンを乱雑に事務机の中にしまう。
「作山と約束でもしてたのか」
「ん?違うよ。お礼を言わなくちゃならないから」
「は?」
「ではお疲れ様です、お先に失礼します」
アキは中野へ悪戯に笑い、夜の編集部を飛び出した。
その手に小さなシャンパンチェアを持って。

