「私はジュリアンヌ・ヴェラール。この屋敷の主人さ。まぁ私一人しかいないけどね。」
「俺は……」
「ジャック、だろ?」
彼女、ジュリアンヌは俺の方を向いてニヤリと笑った。
「………ジャック・ランです。よくご存じで。」
正直、俺は知り合いなんて八百屋のおばさんと、肉屋のご夫婦しかいなかったから、心底驚いた。
「君のことは大体知ってるよ。家庭事情もね…酷い話だ。」
「な…俺、貴女と何処かでお会いしましたっけ…?」
戸惑う俺に、彼女は手に持っていた本を差し出した。
表紙に書かれていたのは…
"ジャックと豆の木"
「…なんですか、これ…」
「何って、童話さ。君の体験した、不思議な出来事。」
「童話……?」
聞きなれない単語に眉をしかめる。
すると彼女は、俺の手を引いて、廊下に出た。
そのままスタスタと歩き始める。
「な、ジュリアンヌさん、一体何処へ…」
「この世界はね。」
前を向いたまま、彼女は語る。
「この世界はね、童話の世界なんだ。この世界で起こったことが、別の世界では本になる。物語として、おとぎ話として、別の世界の人間に読まれるんだ。」
「……はい?」
「まぁいきなり言われてもわからないだろうね。そのために君をこうしてここに連れてきたのだけど。」
ジュリアンヌが急に立ち止まったので、危うく彼女にぶつかりそうになる。
目の前に見えたのは…大きな扉だ。鍵穴が何ヵ所もある。
そのうちの一つに、彼女は、様々な装飾が施された鍵をねじ込む。
"ガチャリ"
大きな音をたてて、それは開いた。
中には──────。
「どうだい?見事なものだろう。」
天井が見えないくらいの、高い高い本棚。
中央には大きな螺旋階段。
「ここにはね、この世界で起こったこと、全てが本になって置いてある。でも…」
ジュリアンヌは一つの段を指さした。
"赤ずきん"
"赤ずきん"
"赤ずきん"
"赤ずきん"
"赤ずきん"
"赤ずきん"
"赤ずきん"
"赤ずきん"
赤ずきん赤ずきん赤ずきん……………
「ぜ、全部同じ本!?」
「そう。でも内容はどんどん変わっている。」
棚の左端と右端を指さして
「この世界で起こったことは一番左。別の世界で、今の時代に人々に読まれているのが一番右。童話なんて人々の暮らしや考え方によってどんどん変わっていくのさ。」
「……なぜ、ジュリアンヌさんがこの本達を…?」
彼女は黙って、一つの本を俺に渡した。
「それは私も知りたいよ。この世に起こってる全ての出来事を知っているなんて……つまらない。」
渡された本の中身は
白紙、だった。
「だから完成された物語の他に、新しいものを作りたいのさ。」
今度は、年相応の明るい笑顔を浮かべる。
「…でも、なんで俺なんかにこんなことを教えてくれたんですか?」
「なんとなく、だな。行くところ無さそうだったし。」
なんとなくかよ、とガクッとするが、そういえば家も家族も失ったのだった。
彼女の口ぶりからすると、この家に住まわせてくれるのだろうか。
「君には仕事の手伝いをしてもらおうか。一人で住むにはこの屋敷はあまりにも…広すぎる。」
そして彼女は、真っ白な本の1ページ目を開いた。
黒ずくめの可愛らし少女と、
彼女に紅茶を入れたり、料理をしたり、掃除をしたり、洗濯をしたりしている少年の絵が、そこには描かれていた。
……なんとなく、不安になった。