あの人は病室をキョロキョロと見回して、車イスに気がついたようだ。

そして、頬をかくとふと決意したように車イスに手を伸ばした。

「よし!行くか!」

彼女はニカッと笑うと僕の前に車イスを置いた。

「え?」

僕はよくわからなかった。

なぜ僕がこれに乗らなければならない?

僕には自慢の足があるのに。

そう考えてすぐに言葉をのみ、ついでに涙も飲んだ。

黙り混み、うつむく僕に彼女は手を伸ばした。

「ほら!一緒にいこうよ!」

半ば強引に上半身を持ち上げられ、力任せに車イスに沈められた。

僕の腰がイスに触れたとたん、エンジンでも付いているのかと疑うほどの速さで車イスが動き出した。

ギャギャギャとタイヤが悲鳴をあげながらベットの回りを走り抜ける。

ドアの目の前で急停車され、僕の上半身が飛び出しかけた。

すんでのところで扉に手をつき、怪我をせずにすんだ。

「さ、開けて開けて!友達が待ってるんだから!」

彼女はおやつが待ちきれない子供のように飛び跳ねて声を弾ませてた。

僕は促されるままにドアを開ける。

僕らはドン。と音が響くほどの勢いで扉が開き、ジェットコースターのごとく風を切って病室から飛びだした。

落ちないように必死でしがみつく僕に何も考えていない能天気なあの人の声が響き続けた。

「おりゃ~!!いけいけー!」

僕は何だかよくわからなくて、だけど何だか心が弾み出していた。

頬を撫でかすめていく風が懐かしく、ひどく気持ちよかった。

僕の足にはかなり劣るけど、もうしばらく感じていない感覚だった。

それはひどく長くてとても短い間だったはず。

もう時間もわからないほどに渇ききっていた心が、じわり、じわり、と潤いを帯びていった。

その人は案外すぐに立ち止まり、僕は再び振り落とされないようにギュッと車イスにしがみついた。

「とーちゃぁーく!早く開けて開けて!」

その人に促され開けた扉は、僕の病室から二つ離れた病室だった。

どうやら団体部屋らしく、中には四つのベットが並んでいた。

その人は奥の右側のベットまで行くと、カーテンを躊躇なく豪快に開けた。

そして腰に手をおき、大きくのけぞって偉そうに笑った。

「来てやったぞ!友よ!」

僕の視界からは開きかけたカーテンが邪魔で中が覗けなかった。

少し車イスのタイヤを回し、内側を覗くと中ではその人と同い年ぐらいの女子が目を丸くしてこちらを見ていた。

しかしすぐに顔が歪み、ぱぁっとほころんだ。

「どうやって来たのよ」

そう言って笑う彼女に不覚にも僕は鼓動を早めた。

「木を登って!」

どやぁ。まさにそんな効果音が似合うほどにその人は笑った。

「バカでしょ」

彼女たちは暫し笑いあっていた。

僕の存在に彼女達が気づくのに軽く2、3分かかった。

「えと、どちら様?」

まともな質問をしたのはベットに横たわる彼女だった。

彼女は左足を包帯で巻かれ、吊るされていた。

そして右手と頭にも包帯を巻かれ、大きな絆創膏を頬に一つ。

女性には辛い怪我だろうなと思っていると、隣であの人がふんぞり返って言った。

「知らん!」

「お前が答えんのかよ!」

思わず僕は声をあげた。

「えーと。じゃー車イス車太郎くん!」

「変な名前つけんな!」

僕が声を荒げると彼女がまた笑った。

━━あ。

なんかこの顔、好きだな。

何となくだけど、確かにそう感じた。

そんな僕の横でふざけるしか脳がないあの人が優しく微笑んだ気がした。