マンションに帰って時計を見ると、まだ十時だった。カンナは三人の女友達に簡単な電話をかけ、翌日四人でランチをする約束をとりつけた。
翌日、カンナと三人の女性は、居留地の小さなホテルのレストランに集まった。
「なんなの? 話したいことがあるっていうのは?」
と、邦子が問いかけてきた。
「実はきのう空港ですてきーな男性に巡り会ってね。いきなり、名刺を渡されて、次に来たときには、会いたいって言われたの」
「それで、どう言ったのよ?」
と、千里が身を乗り出してきた。
「どうも、こうも。押し切られるような調子になって、私も携帯の番号教えたわ」
「それ、どういうこと?よっぽど、感じが良かったの?」
と、穂波が聞いてきた。
「うん、一目見たときに、清潔な感じのする人だなあって。インテリジェンスもありそうだし、悪くないと思ったのよ」
「カンナは男を見る目があるとも思えないから、ちょっと、危険な気がする」
と、邦子が言った。
 邦子はお酒に強く、カラオケバーや派遣先で意気投合した男性と、初対面であってもホテルに行って、平気である。そんなことをして、やばい人にひっかかったらどうするのだと問うと、若いときからそうやってきて、一度も凄いトラブルに巻き込まれたことはないと言う。自分には、人を見る目があるのだと豪語していた。そして六十歳にして、派遣先の四歳年下の男性を射止め、もうすぐ正式に結婚することになっていた。
 カンナは邦子から大いなる刺激を受けていた。自分より三つも年上で、自分より若い男性をものにしていると思うと、嫉妬めいた気持が湧いてくる。自分は二年間夫の遺骨にお線香を立て続け、その臭いが体にしみこんでいるわけでもないと思うのに、誰も男性は寄って来なかった。
 カンナは男性がすごく欲しいというわけではなかった。邦子が、男性とのこまごまとした行為を、逐一語ってくれるので、妙に刺激を受けてしまうときもある。千里も、穂波も邦子の話を聞きたくて、集まってくる。四人は、邦子を中心に同盟を作っているようなものだ。表面には表さないが、心の奥底での好き者同士が、集まっている。
千里は四十五歳。四人の中では一番若いが、夫とは少しずつ気持がすれ違ってきて、夫の求めに応じる気になれず、日ごとの夫の求めは拒否をしていると、みんなに話していた。しかし、大学と高校の受験生の息子を二人抱えて、これから学費も要ることだし、離婚しようという気はなかった。
穂波は、中では一番普通の家庭生活を営んでいたが、邦子の話を聞く度に、自分はまだ、邦子のような奔放な喜びを味わっていないと感じると告白している。別の人と出会えば、邦子の言うような深い深い喜びを体験できるのではないかと、邦子の話を羨ましく聞いている。でも、五十二歳では、もう遅いのではないかと引っ込み思案な気持も湧いてくる。
カンナは名刺を取り出した。
穂波が名刺を見ながら、
「ちょっと、大丈夫? 名刺では立派な人に見えるけど・・・」
と、疑わしそうに眺めている。
「柏木さんは、それは、センスのあるジャケットを着ていたわ。芸能界の人が着るような、薄―い緑がかったクリーム色だったんだけど、それがよく似合っていてね。顔も神田正輝をふっくらさせたような顔だった。私ちょっと一目惚れかもよ」
「一目惚れは、危険だよ。私が、意気投合すればすぐにホテルに行っているといったって、その前に飲みながら三時間も四時間も、しゃべっているもの」
と、邦子が自信満々に言った。
「私だって、一時間半くらい、しゃべっていたわよ」
と、カンナは応じた。
「何をしゃべったの?」
と、邦子が聞いた。
「二年前に主人が亡くなったこととか、お骨を青梅に納めに行ってたこととか・・・」
「だめだめ、カンナは自分のことを、正直に言いすぎているわよ。男は相手がうぶだと見抜くと、自分のことは徹底的に嘘をついて、相手の気を引くのよ」
と、邦子が物知り顔に言う。
「でも、なんか羨ましい。一目惚れできるような人に出会えるなんて・・・」
と、穂波が細い目の奥を輝かせて言った。
「私だって穂波と同じで、一目惚れできる相手があったら、靡きたいわ」
と、千里も言った。
「千里は、家庭内ではもうごめんだと言っているけど、端から見ると立派なご主人がいるので、言い寄ってくる男はいないわよ。この四人の中では一番若くて、ぴちぴちしているのだけどね」
と、穂波が言う。
「千里は、ちょっと近寄りがたい堅物に見えてしまうのよ。千里の方から気のある態度を示さなければ、男の方からは、思っていても言い出しにくいよね」
と、邦子が千里の目を真っ直ぐ見て言った。
「そうなの? 私、そんなに怖い? 心の中では、いつもいつも白馬の王子さまが来ないかと待ち続けているのに・・・」
と、笑いながら言っている千里の目には、涙がかすかに浮かんでいた。
 涙に気づいたカンナは、みんな苦しんでいるのだと思った。千里のように、エリートのサラリーマンを夫にしていても、夫に肉体をゆるしたくないと思うほどの不満を持っているのだ。夫以外に白馬の王子様が迎えに来てくれないかと待ち続けているというのは、悲しいことだ。カンナ自身は遅い結婚で、死んだ夫も四十五歳まで独身で、お互いに若い情熱は失っていて、淡々とした関係だったけれど、一緒に墓場に入ろうと思うくらいの愛はあった。だが、お骨を舅姑に取られてしまった瞬間、様子のいい男性に一目惚れして心が揺らいだのは、邦子の奔放な男性関係の話に、大いに刺激を受けていたということもあるが、結婚した当初から、もう二人は若くないんだからと思い込んで、こんなものだわと淡泊な関係を肯定してきたところに、自分では気がついていなかったけれど、自分の中に充ちていない思いがあったのかも知れないと、考えるのだった。
「今日は、カンナの奢りよ。さっ、お料理を取ってきましょう」
と、千里の涙をはねのけるように邦子が言った。
「そうよ、カンナに当てられっぱなしでは、割が合わないわ」
と、千里も陽気さを取り戻して立ちあがった。
「私、バッグ見ててあげるから、私のものも適当に取ってきてね」
と、穂波が二人に言った。
 カンナは年甲斐もなく、ウエイターにも欲情して、マリリンモンローのように腰を大きく振って歩いた。それを見ていた穂波は、自分の中にもじわじわと炎のような欲情が盛り上がって来るのを感じた。穂波はおしりを押しつぶすように椅子につけて、料理を載ったお皿が運ばれてくるのを待った。
 四人はむさぼるように料理を食べた。口の中には絶えず食べ物が入り、朗らかに笑い、絶えず食べ物を咀嚼した。ビールを飲み、喉は鳴り、胸は大きく波打った。笑い声ははじけた。皆は、カンナと一目惚れの男との未来を話題にしては、刺激され、興奮していた。
話題は、あちらこちらへと飛び散り、近々結婚する邦子の相手の男への憶測や好奇心をあからさまに口に出してしゃべった。しゃべりながら、頻繁に立って行って、デザートのケーキやアイスクリームや紅茶、コーヒー、すべてのものを食べ尽くし、飲み尽くした。尚も居続けていると、若いウエイターがやってきて、「お時間になりました」と告げた。
 過激であからさまな話題で、入ってきたときの三倍も四倍も興奮したカンナは、グラスワインの酔いも手伝って、うるんだ目でウエイターを見つめ、寄り添うような微笑を浮かべながら、「長居してごめんなさいね」と許しを請うように言った。
 邦子はその様子を見逃さなかった。
「カンナは危険だよ。誰彼なしにお色気をふりまいている。カンナの目を覚まさせるためにも、今日はカンナに奢らせよう」
「そうよ、そうよ。『ご主人がいてもあなたが好きだ』と言われたなんて、おのろけ聞かされて、黙っていられないわ。カンナの奢り」
と、千里が言った。
「当然!」
と、穂波は笑いながら言う。
「OKだわ。払いますよ」
と、カンナは応じた。
 邦子が結婚すると報告したときも、みんなは羨ましくて邦子に奢らせた。この仲間は遠慮会釈なく、恋の幸せ者にたかるのが決まりだった。
 ホテルのレストランを出ると、方向がばらばらな四人は、それぞれの私鉄やJRの駅の方に別れた。