今宵も、月と踊る


彼女の才能の多くは実業団に入団してから花開いたものだった。それまでの道のりは決して順調とは言えなかった。

大器晩成型と言えば聞こえは良いが、その分苦労したことに違いはない。

「先に引退するなんて絶対に許せなかったのに、怪我をしてからあの時のあなたの心境が分かったような気がしたの……」

吉池さんは一気にバツが悪そうな顔になった。

「私には若宮……今のダンナが傍にいたから周りの誹謗中傷にもリハビリにも耐えることができた。あなたには支えとなる人が誰もいなかったのね。王者ゆえの孤独に一人耐えるしかなかった。敵意剥き出しの私にはあなたを思い遣ることなんて出来なかった……。ごめんなさい」

目を伏せて許しを請う吉池さんは痛々しかった。

「吉池さん……」

「返事は急がなくて構わないわ。心が決まったら連絡して」

吉池さんはテーブルの上に名刺を置くと、最後にこう言った。

「怪我をした選手の気持ちに寄り添うことのできる指導者がもっといたら、あなたも引退しなくて済んだのかもしれないわね……」