呼び出しに応じるべく月渡りの間から廊下に出ると、早くも月が闇夜を照らし始めていた。
灯籠の光に導かれるようにして、正宗を伴って祖父の部屋まで足を進める。
祖父と会うことは不快でしかない。橘川家の当主である祖父との間に良い思い出などひとつもなかった。母親の件で深い傷を負った俺は、祖父に対して二度と心を開くまいと誓った。それでも素直に命令に従っているのはいつか上前を撥ねてやろうと機会を窺っているからに他ならない。
……嬉しいことに計画は既に成功を収めている。
俺は襖の前までやってくるとあえてかしこまった口調で来訪を告げた。
「志信です」
「……入れ」
ところどころ掠れた、力のない声が入室を促す。
正宗をひとり廊下に残し足を踏み入れた室内は、橘川家の当主の部屋とは思えぬほど閑散としていた。12畳ほどの広さの和室には粉薬と水差しがのった朱色の盆以外は厚めの布団が一組あるばかりだった。橘川家の絶対君主として、かつて辣腕を振るった老人は静かに横たわっている。
首を横に振り、傍に控えていた使用人にふたりきりにするように目で合図を送る。
意を理解した使用人達が去ると祖父はうっすらと目を開け、障子から透けた月の形を震える指でなぞった。



