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莫大な金を支払って“月天の儀”に臨む人間は多種多様な目的を持っている。
小夜に立ち会ってもらった際の親子の願いは最も原始的な“生”への渇望だった。子供の命を救おうとする母親の姿はいじましく、たまたまだとしても悪くない人選だったと言える。
顧客の中には遺言状を書かせるために末期がんの患者の延命を望む強欲な家族もいたし、罪状を問いただすために悪の限りをつくした犯罪者をあえて死の淵から生還させたこともあった。
……小夜の目に晒すにはどれも相応しくない。
“カグヤ”には“カグヤ憑き”の持つ、汚い部分を何も知らずにいて欲しかった。
聖人面しておいて、やっていることはその辺の悪党とさして変わらない。
人の足元を見て金銭または利権を得るために便宜を図ってもらう。昔から橘川家はそうやって陰から権力者たちに取り入って栄えてきた。
そして、現代でもその中心を担っているのは“カグヤ憑き”だった。
汚いのは俺も同じだ。祖父に指示されるまま、力を揮い続けてきた自分を清廉潔白だとは決して言えない。
けれど、俺は不思議なことに一度として自分の為に祈りを捧げようと思ったことはなかった。
一度でも自分の為に舞ってしまったら忌み嫌っているあいつらと同じになってしまう気がしたからだ。
でも、今。その気持ちが揺らぎつつある。
俺は心から欲していた。
……小夜の走っている姿をこの目で見てみたい。
それは、果たして許されることなのだろうか。



