坂本さんの記事が載った雑誌が刷り上がったのは、それから十日後のこと。
出来たばかりの本を持って坂本さんの所へ行くと言う三浦さんに頼んで、同行させてもらった。

「へぇー…フルートを?」

行きの車内でフルートを直してもらいたいと話した。

「前に聞いた時、小沢さん音楽は何もやってないと言ってたけど、フルート吹いてたんだ」

記憶力のいい三浦さん。些細なことまでよく覚えている。

「フルートは中学と高二の途中までしかしてなかったので、やってないのと同じなんです」

朔のことは内緒。三浦さんは前を向いたまま「ふーん」と納得した。

「それをまた、どうして吹く気になったんだい?もしかして坂本さんの影響⁈ 」

チラッとこっちを見る。

「そうですね…もう一度吹いてみたいという気にはさせられましたね…」

あの日の演奏に深く感動しなければ、今の状況はあり得ない。

「でも実際音を出してみたら、出ない音やキーの動きにくい所があって、坂本さんのとこで見てもらおうと思ったんです」

三浦さんの便を借りて行くつもりにしていたから、毎日持ち歩いてた。

「直るといいね」

信号で止まった時、三浦さんが振り向いた。
ドキッとさせられる。
楽器を直すことが目的で車に乗ったのに、一瞬違っているような気がした。

「は、はい…そうですね。直らないと、持ってても仕方ないですから…」

顔を背けて外を見る。
少し前の自分なら、いくら上司と言えど決して二人きりにならなかった。
なのに、今はあっさり車に乗ってしまっている。

(もしかして私、軽率だった…?)

変に意識する。三浦さんには家族がいるのに、余計なことを考えてしまう。

(よそっ、三浦さんに対して失礼だ…)

切れ者で通っている人が、自分にとって不利になるような事する筈がない。大体、待望の赤ちゃんも生まれて、今が一番幸せな時だ。

きゅっとバッグを握りしめる。
小さく固いフルートの箱は、まるで私の心臓みたいに、カタカタと小さな音を立てて揺れていた。