土曜日、開演四十五分前。私は楽団員の控え室の前に立っていた。
手には社費で買った差し入れのシュークリームの箱を持ち、ノックすべきかどうしようかと散々迷っていた。

「…あのさ、中に入るなら入るで、早くドア開けない?」

いつの間に立っていたのか、男性が後ろにいた。

「す、すみませんっ!」

驚いた拍子にドアをノックしてしまい、仕方なくドアを開けた。
ザワザワという人の声に混じり、楽器の音色が響く。
ビクッ!と思わず肩が上がる。
固まった表情のまま立ち尽くす私に気づいた仲間達が、嬉しそうに近寄って来た。

「よぉ!真由!」
「久しぶり!」

スーツ姿の二人組。シンヤとハル。対面するのは二年ぶりだ。

「…二人とも…元気だった…?」

懐かしい友の顔に会えてホッとしながらも、ビクつきは変わらない。
慣れない雰囲気に加え、聞こえてくる楽器の音。それが妙に怖かった。

「…なんだ。この子、お前らの知り合い?」

後ろに立っていた男性は中に入らない私のおかげで、まだドアの外にいた。

「す、すみません!前塞いでて…」

慌てて避けた。
ようやく中に入れた男性は、ドアを閉めてこっちを向いた。
前髪が少し垂れている他は、髪を短く切っている。
形の整った眉はきれいな弧を描き、それが鼻筋を更に高くするようにして見せる。
一見、王子様的な顔立ちは、上品で音楽家らしい雰囲気を携えていた。

「もっさん、こいつオレらのダチで、小沢真由子ってゆーんっスよ」

相変わらずな口の悪さでハルが紹介してくれた。

「僕らの同級生で中学時代のブラス仲間です」

あまり嬉しくないシンヤの言葉に、困り顔で頭を下げた。

「初めまして…」

音にビクつきながら怯えるように挨拶した。
もっさんと呼ばれていた男性は、私が顔を上げるのに合わせて自己紹介した。

「坂本理と言います。よろしく」

さり気なく出された握手の手を握りもせず、私は彼の顔を見て指差した。

「あなたが坂本さん…⁈ 」

変なリアクションにポカン…とされた。ハルもシンヤも呆れたような顔をしている。

「あ…あの、すみません。ごめんなさい!実はその…私、A出版から参りました。この度は弊社の取材にご協力頂き、誠にありがとうございました。本日は三浦の名代として伺いまして、あの、これ…つまらないものですけど差し入れです。皆さんでどうぞ!」

大慌てで早口のように言葉を連ね、シュークリームの箱を差し出された手の上に乗せてしまったものだから、坂本さんはそれを落とすまいと必死で受け止めた。

「おっと…!」
「あっ…すみません…!」

箱を受け止めようと手を広げる。重ね重ねの失態を、ハルが笑い飛ばした。

「オレ、こんな謝ってばっかいる真由見んの初めて!」
「そう言えば、僕も初めて見た!」

つられてシンヤまで笑い出す。居ても立っても居られない感じになり、つい昔のように声を上げた。

「もうっ!何よ、二人とも!」

唇を尖らせて拗ねる。その様子をくすっ…と笑われた。

「ホントの地はそっちなんだ」

言い当てられて思わず俯いた。
こんな近くで男性の顔を見るのは七年ぶり。ドキドキ…と胸が鳴った。

「差し入れありがとうございました。編集部の皆さんによろしくお伝え下さい」

軽く頭を下げ、仲間達のいるテーブルへ向かう。その背中をホッとして眺めた。

「真由子、一人で来たのか?」

シンヤの声に振り返った。

「ううん、ナツも誘った。でも、まだ来てなかったから、先に挨拶しておこうかと思って…」

まさかドアの前で散々ノックするのを躊躇っていたとは言えず、適当に言葉を濁した。
楽器の音に背中をビクビクさせながら、かつての仲間達と話す。
ホントは、一刻も早くこの場から逃げ出したくて仕方ないのに、その気持ちを、何とか抑え込んでいた。