・・・色葉姫様は、その当時従者兼文学師範であった、張本左馬之助、という藩士と身分違いの恋をしていました。二人とも想い合っていたのですが、張本家は300石取りの家にすぎず、その家の次男であられる左馬之助様に、藩主の実の娘である色葉姫様が嫁すというのはできませんでした。
二人の想いは色葉姫様が大奥入りなされてからも収まらず、左馬之助様が櫛売りや医者に扮して、密会をかさねていたそうです。ですが、二年ほどで事が露見し、色葉姫様は大奥から出戻りされ、左馬之助様は斬首刑に処されました。
色葉姫様は、将軍様から一番の寵愛を注がれていた姫であったため、将軍様は大層ご立腹され、華夷藩は25万石から、1万石にまで石高を減らされました。ですが、色葉姫様への罰は軽かったのです。それがもとで、色葉姫への非難の言葉は毎日城に集まり、一揆や藩士の脱藩、あげくに色葉姫を殺害しようとする藩士まであらわれました。その時、大事にはいたりませんでしたが、藩は荒れ果てていきました。
そんな中、照姫様がお生まれになったのです。
心労が祟り、色葉姫様は出産後すぐに息をお引き取りされました。
困ったご隠居様は、自分の側室との間の姫として、照姫様を引き取りました。
なので、ご隠居様の末姫というのは面目上のことであり、本当は、斬首に処された左馬之助が実父なのです。
ですが、藩士の殆どは、照姫様の出自は見当はついていますので、危ないからと、人目につかない隠し部屋で、軟禁状態で過ごすこととなったのです。
・・・まあ、こんなものですね・・
って、照姫様!!
二人の想いは色葉姫様が大奥入りなされてからも収まらず、左馬之助様が櫛売りや医者に扮して、密会をかさねていたそうです。ですが、二年ほどで事が露見し、色葉姫様は大奥から出戻りされ、左馬之助様は斬首刑に処されました。
色葉姫様は、将軍様から一番の寵愛を注がれていた姫であったため、将軍様は大層ご立腹され、華夷藩は25万石から、1万石にまで石高を減らされました。ですが、色葉姫様への罰は軽かったのです。それがもとで、色葉姫への非難の言葉は毎日城に集まり、一揆や藩士の脱藩、あげくに色葉姫を殺害しようとする藩士まであらわれました。その時、大事にはいたりませんでしたが、藩は荒れ果てていきました。
そんな中、照姫様がお生まれになったのです。
心労が祟り、色葉姫様は出産後すぐに息をお引き取りされました。
困ったご隠居様は、自分の側室との間の姫として、照姫様を引き取りました。
なので、ご隠居様の末姫というのは面目上のことであり、本当は、斬首に処された左馬之助が実父なのです。
ですが、藩士の殆どは、照姫様の出自は見当はついていますので、危ないからと、人目につかない隠し部屋で、軟禁状態で過ごすこととなったのです。
・・・まあ、こんなものですね・・
って、照姫様!!
