“───明日のために、今日を生きる。”






“生きる”って、なに?


そう思ったことはないですか?


夢なんかなくて、将来なりたいもんがきまらん。


みんながふつうに行ってる学校にも
行くことができんで、


なんのために生きてるんやろ……って。


朝起きて、朝ごはん食べて、テレビ観て、
ケータイいじって、お昼ごはん食べて、
ドラマ観て、ゴロゴロして……

じゃあ、気づいたら夜になってて、

夜ごはん食べて、お風呂入って、寝て、
また起きて……


おんなじことのくり返し。


……あれ?

いったい、なにしてるんやろ。


なんでごはんって食べるんやろ。

なんでお風呂に入るんやろ。

なんで寝たり起きたりするんやろ。


あたまんなかはハテナばっか。


でも、いくらかんがえたかって
答えになんたどりつかん。

もしかしたら、答えなんかないんかもしれん。


そんなんやったら、かんがえるだけムダやん?


むずかしいことなんかんがえても、
このあたまじゃ、わからんことばっか。


それやったら、かんたんにかんがえたらいい。


“何十年先のことのために生きる”

そんなん言われるから、よけいわからんくなる。


じゃあ、

明日のためだけに、
今日を乗りこえたらいいねん。


明日の〇時からやるあのテレビが観たいから、
明日がくるまでの今日を生きる。


そんなちっぽけな理由でいいと思う。


ほんで明日になったら、
またそのつぎの日にしたいことのために
その日を生きる。


ずーっと、ずーっと先のことなん
わからんねんから、
無理してみようとしてもみえんねん。


やったら、

想像しやすい“明日”っていう未来のために、
“今日”っていう日を乗りこえたらいい。


みんなそう。

むずかしくかんがえんでいい。


ごはん食べる理由なんか、
おなかすくからでいいやん。

お風呂入る理由なん、
1日のよごれをおとすためにやん。

ねむたくなるから寝て、
満足したら、勝手に目覚める。


むずかしくかんがえてしまうから、
あたりまえの答えも見失ってしまう。


かんたんなかんがえでいい。


1日1日を、コツコツ……じゅんばんに。


自分のペースで、






“今日”っていう壁を乗りこえていってな───。






『生きること』 END★