風が、吹いた



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「え、引越し?」




カウンター席に座る私に、コーヒーを差し出しながら、彼は目を丸くして驚いた。




「はい。ずっと前から考えていたんですけど、そろそろ会社の傍に引っ越そうかなって。」




目の前に出してもらったカップから立つ湯気に、目を落として、決心が揺らぐことのないように、唇を噛む。




「佐伯さんの所に、中々来れなくなっちゃうのが、寂しいですけど。」




残念そうに、ちらと佐伯さんの顔を見ると、彼も同じように眉を下げてこちらを見ていた。




「僕も寂しいな。でも…そうか。もう、この街に居ることはないもんね。千晶の会社は遠いわけだし。」




白髪の数は大分増えたけれど、佐伯さんはあの頃と余り変わっていない。



そして、あの日から、佐伯さんは私に、椎名先輩の話を絶対にしなかった。



それが優しさからであることはいうまでもない。