この国は、北原、乃八、松舞、沖の四つの里に別れている。




乃八が一番人口が多く、松舞には基本子どもは行ってはならない、と教えられていた。


北原、沖は乃八と松舞がある大陸より海を挟んで北にあるため、あまり人が近づかなかった。



そしてなんと、1000年ほど昔には、この国には約60もの里があり、そしてそのどこにでも自由に行き来できていたらしかった。





私、高瀬由真がかよう中学級には一応、この国の歴史などを学ぶ教科があった。




しかし、学校で教わることは必要最低限どころか、応用のようなことを質問しても基本は教えてくれなかった。



無理に聞き出そうとしても、逆に怒られる始末だった。




それに、少し昔に、生徒に余計なことを教えてその事が教育会にばれ、その生徒と共に行方が分からなくなった教師がいたらしい。



必然的に、生徒たちは日史について深く関わろうとしなかった。



しかし、私はちがう。


私は、日史について深く興味をもっており、中学級の教師から不思議に思われるほど、日史の授業の時だけ質問が多い子だった。



私がそれほど日史に興味があったのには、ある理由があった。