次の日の朝、江理は訪ねては来ることはなかった。
別にいつもの静かな日常に戻っただけの話だ。
俺は冷蔵庫のミネラルウォーターを飲みながら、タバコに火をつけた。
すると珍しく朝早くから仕事用の携帯が鳴った。
電話に出ると、電話の相手は龍之介だった。
妙に声が弾んでいる様に聞こえた。

「聞きましたよ!やっと仕事やる気になってくれたんですね。」

「はあ?なんの話だよ?」

俺は笑えない冗談に眉間にシワを寄せて、タバコの煙をふかした。

「またまた酔っ払って忘れちゃったんですか?」

「あのな、酔っ払っても仕事の話は忘れた事はないよ!どういう事か説明しろ!」

吸っていたタバコを強く灰皿に押し付けると、電話の先にいる龍之介を怒鳴りつけていた。

「今日、電話で正式に依頼があったんです。ドラマの主題歌は予定通り本木さんでいくって…僕はてっきり本木さんが承諾したんだと思って。」

龍之介の言葉に舌打ちをする。

「電話番号教えろ?そのドラマの脚本家の!俺が話をするから!」

龍之介から電話番号を聞き出し、メモを取った電話番号にすぐさま掛け直した。
ボールペンをテーブルに当て、コール音を聞きながら今にも吹き出しそうな怒りを鎮めていた。
何回目かのコールで電話に出ると、俺は最初に咳払いをして思いっきり怒鳴りつけた。

「おい!ふざけるな!お前、昨日の俺の話聞いてなかったのか?ドラマの主題歌は断るって言ったはずだろ?」


「申し訳ございませんが、どちら様でしょうか?アポはとられてます?」

電話に出たのは男の声だった。

間違えたのかと思い、慌てて電話を切りもう一度電話番号を確認しながら掛け直した。
しかし、もう一度出たのは男の声だった。
不思議に思った俺は電話口の男に確認した。

「あの、脚本家の小野江理さんの電話ですよね?」

「ええ、そうですが…小野先生のお知り合いですか?あいにく今、席を外してまして、ご用件は?」

「いや、俺は…まあ、ええ。あのドラマの脚本の件で…」

余計な事を言わない方がいいと思い、あえて名前はなのらなかった。

「小野先生なら本木佳祐さんが主題歌やらないなら自分もやらないなんて言い出して…今丁度本木さんの事務所に掛け合っていたところなんです。」

「なぜそこまで?」

「さあ、私にもさっぱり…一度決めた事は曲げない性格の方ですから、ところで、あなたは?」

俺はその問いかけを投げられかけた時、慌てて電話を切った。
俺は頭を抱えて深くソファに座る。
あの女のドラマの話がなくなろうと…関係はない事だ。
人生は選択の連続だ。
どっちの道に行くかは自分次第で、他人が横入れする様な事はない。
でも、少なからずその間違いが俺の影響であるならば…。

「くそっ。つくづくうざい女だな…。」

俺は服を着替えると、自分の車で江理の事務所に向かった。
事務所に着くと、さっきの電話の秘書が俺の顔を一瞬確認した。
そして、驚いた様に席から立ち上がる。

「本木さん⁉︎自ら出向いて下さらなくても…こちらから…」

秘書は俺より腰を低くくして、平謝りする。

「あの女はどこだ?」

「あの女と言うのは…?」

「小野江理だよ。」

「先生は今、別の仕事の打ち合わせ中でして…。」

そう言いながら、奥の部屋に視線を送っていた。

俺はその秘書の言葉を無視して、奥の部屋のドアを開けた。
資料を真剣な表情で目を通しながら、スーツ姿の男の話に相槌をうつ江理を見つけた。
俺は打ち合わせ中の江理の腕を掴むと事務所の外まで力任せに引っ張り出した。

「どういうつもりですか?仕事中なんで…失礼します。」

江理は怒った様に俺が握っていた手を強く振り払い、事務所に戻っていく。

「お前はいいのか?あのドラマの脚本の話オジャンにしても。」

「しょうがないじゃないですか…あの作品は本木さんの歌がないと完成しないんです…黙ってましたけど、あの脚本は本木さんをモデルに書いた作品なんです。」

俺はその言葉に江理の方に視線を向ける。

「ずっと、極秘で一年間取材を続けてきました。音楽界で20年トップミュージシャンとして走り続ける本木佳祐の音楽以外のストーリーとして作りたかったから。」

その江理の言葉と同時に俺は、全身に怒りが湧き上がるのがわかった。

「誰の許可を得て、そんな事してんだよ?お前に少しでも同じ作り手の立場として情けをかけた俺が馬鹿だったよ…俺の周りを勝手に嗅ぎ回りやがって…二度と俺の前にその顔みせるな!」

江理を最後に見た俺の目は、冷たく氷の様に変わっていた。
ズボンのポケットに手を突っ込みながら、振り返って二度と江理を見る事はなかった。