ステージが開くと、全ての悩みが吹っ飛ぶくらい、全てを忘れられた。
俺を迎えてくれる歓声とパフォーマンスを望む声。
それだけで、充分だった。
湧き上がる歓声の中、俺はアンコールでギターを片手に予定していなかった即興で作った歌を披露した。
題名もない、歌詞も決まってない。
今の自分の気持ちを誰かにダイレクトに解ってほしい、独りよがりの気持ちだったのかもしれない。
痛みや感情を誰かと共有する事で俺は、自分の彼女への罪悪感を忘れられ、楽になれた気がした。
自分の中でも抑えきれないどうしようもなかった感情を誰か一人にでも解ってほしかっただけなのかもしれない。

そして、全ての講演が終わり、俺は楽屋で椅子に座って物思いにふけりながら、タバコをふかしていた。

ステージの1番前のマイクスタンドの位置から見える中央の席は、一つだけが空席だった。
それは、俺が彼女の為に用意した席だった。

それ以上、俺に考えさせる事を遮断させるかの様にドアをノックする音が聞こえた。
楽屋に入ってきたのは、あの病院以来会っていない西岡だった。

「お疲れ様。本木君。今日のライブ関係者席から見させてもらったよ。最後のあの曲って新曲?」

あの日何事も無かったかのように、西岡は淡々と前と変わらない笑顔で俺に話かけてくる。

「ただ、なんとなくそのときの自分の気持ちに音つけただけで、新曲でも何でもないです。」

俺はそれだけ言うと、再び火をつけて一言付け加える。

「今日歌ったあの曲は、ジングルカットで音録りするつもりもないですし、あの瞬間でしか歌えなかった曲ですから…」

その言葉を聞いて、西岡は軽くため息をついた。

「まさかだけど、恵里奈の事、気にしてるの?」

俺はその西岡の質問に対して、何も答えずに、タバコを咥えたままタバコの煙を吐きだす。

「恵里奈に対して君が責任を感じる事ないよ。これからはお互い違う時間を歩んで行くだけだ。谷垣にも忘れろって言われたろ?」

「別に俺は気になんかしてませんよ。俺は今までの通り、自分のやりたいようにやるだけです。」

「そうか…なら安心して、これを本木君に預けられる」

西岡はそう言うと、ズボンのポケットから手紙を取り出し、俺の目の前に差し出した。

それを受け止った俺は、吸っていたタバコを灰皿に押し付け火を消すと、俺の名前の宛名が書かれており、裏を向けると「谷垣恵里奈」と書かれていた。

「恵里奈にどうしても君に渡してほしいって、昨日病院に行った時に頼まれた。読まずに捨てるのも、読むのも君の自由にすればいいよ。」

手紙を受け取った俺は、すぐその手紙を読む気にはなれず、西岡がしばらくして楽屋を出て行った後に机の上に乱暴に放りなげた。

彼女の事を気にしていなかった訳ではない。
彼女に対して見捨ててしまったという妙な罪悪感と受け入れ難い嘘で騙されていたという怒りが俺に手紙の封を開けさせるという考えに至らせなかった。
彼女の素性が明らかになり、俺に彼女が今更何を伝えようとどういう気持ちで手紙を書いたのかがわからなかった。
言い訳なのか開き直りなのか。
そして、何よりこれ以上彼女に深く関わる事は間違いな気がしていた。