目の前で顔色1つ変えずにタバコをふかしている谷垣が、俺には誰よりも悪人に見えた。
そして、脳裏にはさっきの渚の顔が浮かんでいた。
たくさんの人を幸せにする事よりもたった1人の幸せを大切にしたいと、俺の心はそう確かに俺自身に呼びかけていた。
「俺、あんたを信じて今までやってきたけど、俺はあんたみたいな人間にはなりたくないんだ。」
そう言うと、俺は谷垣がテーブルに無造作に置いていた携帯電話のダイヤルボタンを押した。
何コール目か聞こえた後で、タバコをふかしていた谷垣が灰皿にタバコを押し付けて火を消すと、俺が耳に当てていた携帯を力任せに取り上げて電源ボタンをオフにした。
その後、携帯をゴミ箱に放り投げた。
「俺みたいになりたくなければ、下手な正義感や優しさは捨てろ。お前の役目じゃないと言ったはずだ!」
「誰かが死ぬかもしれない状況を目撃して、見殺しにしろって言うのか?それは優しさや正義感じゃない。人間として当たり前の感情だ!」
俺の言葉に谷垣は少し笑みを浮かべて、言った。
「本木、お前いつからそんなつまらない男になった?」
そして、ため息をついて言った。
「女なんて腐るほどいるだろ?いつまで振られた女追いかけてる?教えてやったろ?振られた傷は他の女で癒せばいいって。それで今まで全部忘れられたろ?」
そう言いながら谷垣は、俺の肩を軽くぽんぽんっと叩いた。
確かに俺は谷垣の言う通り、全ての傷をうやむやにしてきた。
誰も愛さず、寂しさを埋めるためだけに女を利用し、面倒になるとゴミ屑みたいに捨てていた。
でも、愛情はそんな簡単に消せるものなんかじゃないって知らされた。
渚に恋をして、誰にも求められずにひたすらに与える愛情を知った。
怒りも嫉妬も知った。
まるで今まで欠落していた全ての感情を取り戻し、本来の人間らしい自分に戻れたみたいだった。
それがつまらない事なのか?
俺は奥歯を噛み締めて、眉間にシワを寄せた。
今にも噴き出しそうな感情を谷垣にぶつけないためだった。
「警察が駄目だって言うなら、俺が行きますよ。」
「そこまでするような女か?お前の事なんて好きでもなんでもない女だぞ?助ける必要なんてないだろ!放っておけ!」
俺はドアノブに手をかけると、去り際に谷垣に言った。
「確かにそうかもな。でも、どうしようもなく手に入らなくても好きで堪んないんだからしょうがないだろ。拒絶されても、騙されても、全てが嘘でも、俺の事を好きじゃなくても、俺はあの女が大切なんだ。それ以上余計な口出ししたら、社長のあんたでもタダじゃおかねぇからな。」
ドアを勢いよく開けると、俺はさっきの恐怖感も忘れて、渚のいる駐車場に走り出していた。