俺は、泣いている渚を抱きしめながら、ふと我に返る。

何してんだ…俺。

「悪い…」

俺は、慌てて、渚の身体から離れると、席を少し離れて、ゆっくりと腰を下ろす。

渚も、手首を隠しながら、床に落ちた包帯を拾うと、巻き直していた。

話しかける言葉が見つからない。

やっぱり、俺は、彼女と出会ってから、死んだ渚と似てる彼女を渚本人と錯覚してる。
きっと、このままだと、俺は、どんどん、彼女に入り込んでいく。
さっきも孝之が言った通り、もう、本物の渚は死んだ。
この女は、そっくりなだけで、俺の恋人の渚なんかじゃない。
俺は、生きた渚の亡霊に取り憑かれてるだけだ。


俺は、渚に目を向けると、次に発する言葉で、もう二度と彼女には会わない事を決めていた。
すると、今まで、黙って、俺と渚を見つめていた孝之が、ずっと下を向いたまま、泣き続けていた渚に先に話しかけた。

「あんた、この店で働けよ。」

孝之の言葉に、渚がびっくりして、顔を上げる。
俺も、思わず、孝之に視線を向けた。

「もし、事情があって、家に帰れないなら、知り合いに頼んで、住む所も用意してやる。別に、もう二度と俺達と関わりたくないのなら、今すぐ、店から出て行ってくれればいい。どうする?」

「孝之、お前、何言ってんだよ!」

「佳祐は黙っててくれ。ここは、俺の店だ。俺が誰を雇おうが、俺に決定権があるんだ。」

俺は、すぐには、状況を把握できなかった。
あんなに説教して、渚に難色をしめしていたはずの孝之が、今度は、渚に俺の目の前で、助けの手を差し伸べているからだ。
しかし、孝之の顔は、冗談なんかじゃなく、いつになく真剣だった。
渚は、涙を手で拭うと、立ち上がり、震えた声で孝之に視線を向けた。

「私…」

全てを口にしなくても、孝之は、その渚を見て、優しく微笑むと、右手を差し出した。

「これから、よろしく。」

俺は、目の前で、ゆっくりと、動き始めた現実をじっと眺める事しかできなかった。