息を切らせて、孝之の店に着くと、カウンターでほおずえをつきながら、膨れ面をしている奈緒。
そして、機嫌の悪い奈緒を必死になだめている孝之の姿が目に入る。
俺は、両手を顔の前で合わせて、2人の前でバツが悪そうな顔をして謝ると、奈緒の横の席に座る。

「遅い!何してたの?」

俺が言葉を発する前に、奈緒が怒った表情でおしぼりを俺に向かって、投げつけた。

「おい、奈緒、お前の為に、せっかく、忙しい中、佳祐、来てくれたんだからさ、遅刻くらい多めにみろよ。」

いつものように、孝之が俺の為にフォローをすると、奈緒は、俺に向かって、右手を突き出した。

「プレゼント!」

俺は、その奈緒の言葉に、奈緒にあげる為にプレゼントにかった薔薇の花束を渚に差し出した事に気づいて、大きなため息をついて、頭を抱えた。

「ごめん。プレゼントも忘れちゃったんだよ。」

「最低!」

俺の言葉に、完全に奈緒は、拗ねてしまったようで、そっぽを向いてしまった。

どうしようか考えていると、孝之が、頭を抱えている俺に、口をパクパク動かしながら、前にあったステージに俺の視線を誘導した。

孝之の店は、バンドのライブや演奏も一緒に楽しめるミュージックバーだった。

何度か遊びにきたときに、まばらに客がいた時は、酔った勢いで歌った事もあったけど、今日みたいに満席でシラフの日は、演奏を見ているだけだった。
俺は、戸惑いながらも、孝之に背中を押されて、ステージに上がった。
ぎこちなく、スタンドマイクの位置の高さを調節すると、後ろのギターを手にとる。
孝之の方を見ると、誕生日をことごとく台無しにした俺の方を指差して、拗ねている奈緒の視線を向けさせていた。
孝之が、親指を立てて、俺に笑いかけると、マイクの向きを変えた。

「今日は、35歳の誕生日の奈緒の為に、俺から歌のプレゼントを贈ります。本当におめでとう。」

ハッピーバースデーの子供じみた歌だけど、いつもより小さなステージで、バックバンドも照明もない中で歌っている時、俺は、昔の事を思い出した。

まだ、デビューして間もない頃、ライブをしても、客なんか今みたいに、客席が溢れかえるほど入らなかったが、歌っている俺と客との距離が、手を伸ばせるような近くにあった。

その感覚は、とても新鮮で、久しぶりに歌い始める時、妙に緊張感を覚えた。

歌い終えると、膨れ面の奈緒が機嫌を取り戻したのか満面の笑顔で拍手をしているのが見えた。
そこに、孝之が、店の奥からバイトの子に頼んでいたのかバースデーケーキを奈緒の前に置いた。
俺は、その奈緒の姿に胸を撫で下ろすと、ステージを降りて、奈緒の横の席に座る。

「前振りもサプライズのつもりだったんだ。でも、やっぱり、佳ちゃんの歌聞くと、なんか全部嫌な事、吹っ飛んでいくね。それに孝之もケーキ、ありがとう。」

奈緒は、グラスを傾けながら、いつも店にくると飲んでいるライムソーダで調子づいて喉を鳴らしていた。

「佳祐は、バーボンのロックでいいんだろ?」

孝之は、そういうと、氷の塊をアイスピックで砕き始める。

「そういえば、これ、またやらかしたでしょ?いったい何人目よ。」

突然、奈緒がカバンから、明日発売予定だった週刊誌を目の前に乱暴に置いた。
俺は、一瞬、目をやっただけで、ズボンのポケットからタバコを取り出し、口に咥えた。

「もう、そろそろ大人になれないの?本当、いつから、こんな女たらしになったのかわからない。それに、私の部下が佳ちゃんの記事載せようとしてたのをさっき、私がきづいて、工場に頼んで印刷ストップしたのよ。佳ちゃんのミュージシャン生命は間一髪セーフだったけど、おかげで、うちの雑誌は、佳ちゃんのおかげで休刊よ。感謝してよね!」


ライターに火をつけると、タバコを咥えたまま、雑誌を手にとり、じっと見つめた。

「10代の頃みたいに、飽きたからポイなんて、許されないんだからね。佳ちゃんのゴシップ記事、毎回揉み消すのに必死な私の身にもなってよ。」

奈緒は、一気にグラスに残っていた酒を飲み干した。

「別に、そんなに迷惑なら、この雑誌だって、俺の事なんか気にせずに、世間にばら撒いてくれてもいいんだぞ?」

俺は、灰皿に、タバコの灰を落としながら、奈緒を見つめて、優しく笑って、そう言った。
すると、奈緒は視線を逸らして、つかんでいた雑誌を慌てて、奪うと、カバンにしまう。

「別に。何度も言ってるけど、佳ちゃんの為じゃないから。私は、死んだ渚先輩の名誉の為にしてるんだから。今みたいな女たらしのけいちゃんの彼女だったって解ったら、生きてたら、きっと悲しむから。」

奈緒は、顔を真っ赤にして、誤魔化すように、話題を変え、孝之にまた、同じ酒を注文していた。