本気の恋愛をするというのは、俺の中では、とうの昔に諦めている。
それは、きっと、随分前から、俺には、女に対して「好き」という感情だけが、はっきりと欠落していると解ったからだ。
だからと言って、女を受け入れないというわけではなかった。
人間に生まれた以上、面倒くさい事に、孤独と寂しさには、相手がいない限り勝てなかったからだ。
遊びみたいな恋愛を繰り返しながら、俺なりに紛いものの愛を手に入れる事で満足していた。
それなりに幸せだと思っていたからだ。



俺は、次の仕事場に移動する為、車の後部座席に、仕事で疲れた身体を委ねていた。

窓の外に見えた綺麗に輝いた満月をじっと見つめて、ため息をつく。

こんな綺麗な満月の夜は、ゆっくり見るのは、いつぶりだろうか…

決まって満月の夜は、寂しくて、とても、憂鬱な気持ちになる。

運転席にいるマネージャーの中田に後ろから、唐突に話しかけた。

「次の仕事はキャンセルだ。中田、このまま、例の場所に、行ってくれ。」

中田は、その言葉に、バックミラー越しに俺の姿をちらっと見ると、大きなため息をついてから、「わかりました。」とハンドルを握りながら、しぶしぶ返事をした。

東京の中心から少し離れた8階建ての高級マンションの前で車が停まると、俺はいつものように、慣れた手つきで、自分のカバンから、帽子とサングラスを取り出し、ポケットからは、マスクも取り出した。
そして、全てを身につけると、周りを何度も確認しながら、車を出て行く。
マンションの入り口の前までつくと、オートロックのドアに部屋番号を打ち込み、何回かのコール音の後で、インターフォン越しに顔を近づけ、「俺だよ。」とだけ言った。
すると、何の返事もなく、ロックは解除される。
エレベーターのボタンを押し、8階で降りると、803号室の前で足を止めた。
チャイムを鳴らすと、ドア越しに早足に近づいてくる足音が聞こえてくる。
そして、ドアを開けたのは、いつものように、薄い下着のようなパジャマを着た若い女が、玄関先で嬉しそうな顔をして、俺の胸に抱きついてきた。

「けいちゃん、会いたかったー!」

「悪かったな。なかなか会いに来れなくて…」

俺がそう言うと、胸の中で彼女は、何も言わずに首を振った。

彼女と出会ったのは、二年前、いつもLIVEの打ち上げで、スタッフと飲みに行っていたクラブの新人として紹介されて、初めて、俺の横の席についたのが、きっかけだった。
何度か、その後、店に足を運ぶうちに、女の方から俺を家に誘ってきて、その時、初めて関係をもった。
酔っていたと言い訳を言ったとしても、誰でも良かったって訳じゃない。
ただ、彼女は、女特有の愛情を独占しようともしない、歯の浮くような愛の言葉も求めず、普段の生活から開放してくれ、欲望を叶えてくれる。
つまり、男にとっては、都合のいい女と言った方が正しい。

ベッドの上でタバコをくわえている俺の肩に顔を寄せると、彼女が言った。

「ねぇ、私、本気でけいちゃんの事、好きになったら、駄目?」

俺は、初めて彼女が言ったその言葉に、タバコを灰皿に押し付けると、急に、ベッドから勢いをつけて降りた。
そして、口元を緩めながら、床に落ちている服を拾い上げる。

「どうしたんだよ?お前らしくもない、普通の女みたいな事、言っちゃってさ。」

彼女は、背を向けて、そう言った俺の腕に必死にしがみついて、今にも泣きそうな表情を浮かべた。

「ごめんなさい。もう、言わないから」

俺は、振り返り、彼女の頭を優しく撫でると、目を細める。

「じゃあな。」

そして、俺は、全ての服を着終えると、彼女の家をそのまま出て行った。


俺にとって、恋なんて、もう何年も前にどこかに置き忘れてきた感情だった。
好きだの愛してるだのなんてセリフを聞くのは、ドラマや歌の歌詞や小説の中だけで充分だ。
現実なんて、そんな大それた恋愛ドラマのような恋なんて、日常的に転がっているわけでもない。
ただ、過ぎていく時間に逆行したくなる時は、男なら、その道の途中で、魅力的な場所ならば、休憩がてら立ち寄ってみたくなる時もある。
でも、立ち寄る場所に長居しなきゃならないって解った瞬間に、俺にとって、その場所には二度と立ち寄らない場所に変わってしまう。



そろそろあいつとは潮時か…。

満点の星が輝く夜空を見上げながら、俺の身体に冷たい夜風が吹き抜けた。