おじいちゃんの病室を辞去した涼君と私は、晩御飯の時刻までまだ二時間以上あるということで、商店街をぶらぶらと散歩することにした。
 私はウインドウショッピングも大好きなので、大賛成だ。
 おじいちゃんの病室で濡れちゃったスカートは、少しずつだけど乾いてきているようだった。



 しばらく歩いていると、突然背後から声をかけられたので、私たちは同時に振り返った。
 見ると、声をかけてきたのはどうやら外国人の男性のようで、サングラスと帽子を着けている。
 服装はアロハシャツに短パンと、かなりラフだ。
 外国人の知り合いなんて、私にはいないし、いったい何だろう?
 道に迷われたのかな?

「ちょっと、すみませんです」
 文法的には少し違和感があるものの、流暢な日本語でそう言いながら、その人は帽子を取る。
 髪色は少しくすんではいるもののブロンドに見えるので、やはり外国人のようだ。
「はい、なんでしょう?」
 私は、恐る恐る聞く。
 急に知らない人から話しかけられたら、びっくりするよ~。
 それも外国の方から。

「ワタシ、こういう者です」
 言いながら、今度はサングラスを外すその人。
 あれ?
 この人の顔、どこかで……。
 でも思い出せない。
 涼君も分からないらしく、黙っている。

「あらら、わからないですか……」
 その時、少し離れたところにいた、背の高くて太った男性が近づいてきた。
 その男性はスーツ姿だ。
 そして、アロハシャツの人に近づくと、何か耳打ちする。

 アロハシャツの人は、もったいぶったような咳払いをしてから、胸を張り、ゆったりとした調子で私たちに向かって言った。
「新聞、見てないでしょうか? ププセラ王国の第十七代国王のジョセフです」
 ああ!
 そうか、ネットで写真を見たことがあったっけ。
 なんでも今、お忍びで来日中だったはず。
 って…………。
 ええええ!!
 あまり知らない小国とはいえ、一国の王様が、一般市民の私に何の用事なんだろう。

「こ、国王?!」
 涼君が驚いた様子で、素っ頓狂な声をあげた。
「しっ! 静かにしてくださいです。周りにバレたくないです」
 ジョセフさんは、少し慌てた様子で言う。
「部下があちらに車を用意しています。そちらへ」
 ジョセフさんは、すたすたと歩き出す。
 私は黙ってついていくことにした。
 驚きのあまり放心しているのか、はたまた緊張しているのか、黙ってついてきている涼君の動きが硬い。
 いつもは、私よりずっと冷静なのに。



「それで……国王様は、私に何のご用なのでしょうか?」
 名前と年齢だけの軽い自己紹介を済ませてから、さっそく本題に移ろうとした。
 私たちは、国王様の大きなリムジンの中で座っているところだ。
 こんな大きな車、初めて乗るよ~。
 何だか落ち着かない……。

 車は人通りの少ない路地に止めてあるんだけど、あまりにも目立ちすぎだった。
 こんな大きなリムジンだと、どこであっても相当目立つだろうけど。
 うう……相手が国王様ということで、緊張する。

「ワオ! ダイレクトですね。大変いいです。あと、ワタシのこと、ジョセフと呼んでくださいです」
 ジョセフさんは、初めて笑顔を見せた。
「間違いならすみませんですが……あなた、クルミの娘、違うですか?」
「えっ?!」
 またも驚かされた。
 胡桃さん……私のお母さんである可能性が高くなってる人……を、ジョセフさんは知っている?
「違うですか?」
「いえ、私にもよく分からないのですが、その可能性はあります」
「え?!」
 今度はジョセフさんが驚く番だった。
「分からないって……どういう意味ですか? あなたのことです。分からない、おかしいですよ」
 私は涼君にも手伝ってもらって、今までの出来事をさらっと説明した。



「そうだったのですか、いきなりごめんなさいです」
「いえいえ、いいんですよ。こちらこそ、はっきりしたことが言えずにすみません」
「それ、大丈夫です。でも、ワタシ、ショックです……。クルミと連絡とれなくなってから、毎年何回も、こうしてこっそり日本に来ています。ずっと、クルミを探してきたので……」
 ジョセフさんの目には、涙が浮かんでいた。
「胡桃さんのお友達ですか?」
 私は聞いた。
「イエス。いいトモダチです。他の日本人のトモダチもいましたが、みんな連絡とれなくなったです。話すの下手でごめんなさいです。少し長くなるですが、話を聞いてくださいです」
 涼君と私は、静かに話を聞くことにした。

「もう二十年も前。もっと前かもしれないです。ワタシ、日本に留学していました。そのときワタシ、まだ国王じゃなく、皇太子でした。日本で勉強していました。それと、趣味と遊びもたくさんしました。ワタシの母、アクトレスだったので、ワタシもミュージカルに興味がありました。ヴィルトカッツェっていうグループに入っていました」
「ええ?!」
 思わず声をあげてしまった。
 ヴィルトカッツェって、直真さんたちがいた劇団じゃん。
「あ、邪魔してすみません。あと、アクトレスって何ですか?」
「ミュージカルとかステージに出る、女性のスターみたいな人です。日本語だと、フムム……ジョユーですか?」
 ああ、女優さんのことか。
 ジョセフさんは、話を続ける。
「楽しく過ごしました。ワタシ、たくさんのトモダチできました。クルミ、その中の一人でした。もっとはっきり言うと、ワタシ……クルミが好きでした。プロポーズしました。でもダメでした。そのあと、ワタシ、国に帰らないといけないになりました。クルミや他のトモダチの電話番号と住所を聞きましたが、ワタシ大変忙しくなって、なかなか連絡できませんでした。国に帰ったワタシ、すぐ王位継承をしないといけないになったからです」
 私にとっては、なんだか現実離れした話だ。
 でも、ネットで顔写真を見たことがあるので、目の前にいるジョセフさんが国王様であることは間違いない。
 なので、この話をスムーズに信じることができた。

「ワタシ、クルミが忘れられませんでした。それと、この国の思い出も、忘れられませんでした。やっと少し国王としての仕事が落ち着いてきたとき、すぐにクルミに連絡しました。でもダメでした。教えてもらった住所には、もう違う人がいたです。クルミの次にワタシの仲良しだったニカイドーにも連絡しました。でも、ニカイドーも、そこにはもう住んでませんでした。でも、でも……ワタシはあきらめられませんでした。それから毎年何回も、こっそり日本に来て、クルミを探していたです。こっそりにしないとダメでした。バレると怒られるので」
 そっか……ジョセフさんも胡桃さんと仲が良かったんだ。
「これ、クルミの写真です。あなた、そっくりです。馬二つです」
 多分、「瓜二つ」と言いたいんだろう。
 ジョセフさんは写真を取り出すと、私たちに見せてくれた。
 写真を見ると、そこには胡桃さんが舞台衣装と思われるドレス姿で写っている。

「さくらちゃんにやっぱりそっくりだね」
 涼君の言うとおり、この写真の胡桃さんは、今まで見た写真の中で一番、私と馬二つ……じゃない……瓜二つだった。
「たしかに……かなり似てるかも」
「そうですよね。ワタシ、あなた見てびっくりですよ。あなた、クルミよりずっと若いから、きっと娘だと思いました。それに、この街を歩いているなんて……。クルミやワタシの想い出が詰まった、この街を」
「そうでしたか」
 私たちはしばし黙って写真に目を落としていた。

「でも、胡桃さんって、写真によってだいぶ印象が違いますよね」
 私が感想を言ってみた。
 たしかにこの写真は、ほんと私とそっくりだけど、八重桜さんから貰った写真は、私とそこまで似てるとは思わなかったし。
 すると、涼君が答えてくれた。
「そりゃ、女優さんだからじゃないかな。役によって、化粧や衣装も違うから、印象が大きく変わるのは仕方ないことだと思うよ。でも、俺はどの写真を見ても、さくらちゃんと似ていると感じるけどね」
「なるほど。そっか……」
 たしかに、涼君の言うことは一理あるかも。

 その時、さっきも見たスーツ姿の大柄な男性が、前の座席から声をかけてきた。
 言葉は、全く分からない。
 ジョセフさんも何か言葉をかけてから、またこちらに向き直って言った。
「帰る時間みたいです。すみませんです。飛行機の時間が決まってるです。話を聞いてくれてありがとうでした」
「いえいえ、こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました」
 涼君と私は、頭を下げた。
「あなたたち、恋人ですか?」
 唐突にジョセフさんが聞いてきた。
 唐突すぎる!

「い、いえいえ、そ、そんな」
 私は慌てるばかりで、言葉にならない。
「違うんですよ。さくらちゃんの両親探しを手伝っている友人でして」
 涼君が言ってくれた。
 でも、涼君からはっきりそう言われると、ちょっと……いや、かなりブルー。
 実際、友人に過ぎないんだけど。
「ユージン……トモダチですよね。それはよかった! それなら次、ワタシの息子を連れてきたとき、サクラさん、会ってくれますね?」
 え?
 ジョセフさんの息子さんということは……王子様?
 私が王子様と会う?

「まずは、さくらちゃんのご両親探しが先なので、ご両親が見つかってからでないと、ちょっと難しいですね」
 涼君が言った。
 フォローしてくれたみたい。
 たしかに、両親探しが先決問題だ。
 それに、王子様とか皇太子様とか、響きはすごくいいけれど、私が好きなのは涼君だし……。
 なので、涼君が失礼のないように断ってくれたので、内心すごくありがたかった。

「そうですね。すみませんでした。じゃあ、家まで送りますよ」
「え? いいんですか?」
 私はけっこう疲れてきてたから、この申し出をありがたく受けることにする。
 涼君もすぐオーケーしてくれた。
 それから念のために、ジョセフさんと連絡先を交換しておく。
 恐れ多くて、こちらから連絡することは、ほぼないだろうけど。
 そして、私たちは清涼院家の近くまで、送ってもらった。



「また会いたいですね。ワタシの国にも招待しますよ」
 車の窓越しに笑顔で言うジョセフさん。
「ありがとうございます、楽しみにしておきますね! それでは、お気をつけて」
 私がぺこりと頭を下げると、涼君も「お気をつけて」と言ってお辞儀をする。
 軽く会釈をするジョセフさんを乗せた車は、そのまま発進していった。

「びっくりだったね~」
 緊張が解けて、その場でへなへなとくずおれそうになる私。
「うんうん。どうやら、ジョセフさんは父親候補ではないみたいだけど、貴重な情報をいただけたね」
 涼君の言うとおりだ。
 胡桃さんが私のお母さんである可能性は、より高まってきたような気がする。

 往来で立ち話をしていても疲れるだけなので、私たちはその後すぐ、うちの中へと入った。