「『に』が入りますよね。『ふられた今宵に、わななき夜桜』ですね」
 涼君が言う。
「おう、モウリョウイン君は、よう知ってるやないか。さくらは俺の娘やねんし、もっと知っといてくれんと困るやん」
「は、はい、すみませんでした。でも、こちらの彼は、正しくは『清涼院君』です」
 素直に謝っておこう……。
「魑魅魍魎(ちみもうりょう)みたく言わないでください」
 涼君が笑いながら、名前のところに突っ込んだ。
「ぎゃはははは、すまんすまん。それは置いといて、俺を『わななき夜桜』だけの歌手やと思っとるんちゃうか? もっといっぱい歌ってるで。『夏の夢、チクワと鉄アレイ』とかな」
 す、すごいセンスだ……。
 これって全部、一髪屋さんの作詞なのかな。
 どんな曲か聴いてみたくなってくるかも。
 こんなへんてこな曲名だと。
「その顔は、さては知らんかったか。ほな、これからカラオケ行こか。生歌で聴いてみい! 二時間ぶっ通しで聴かせてやろうやないか!」
「いえ、ちょっとこのあと、別の用事がありますので……」
 涼君が、すぐに断ってくれた。
 もし私が一人で来てたなら、恐らく断ることができずに、カラオケに行ってたかも。
 聴いてみたい気もするけど、二時間はきつすぎる。
 涼君がいてくれてよかったよ……。

「そうかぁ、そら残念やわ。ライブやとツェーマン払わんと聴けへん、俺の生歌をタダで聴けるチャンスやったのになぁ」
 いつか見たテレビ番組で知ったんだけど、ツェーマンとは「一万円」のことらしかった。
 どのぐらいお客さんが入るのかは知らないけど、この様子だと今でもお金持ちなのかな。
「まぁ、ええわ。そやんな、『わななき夜桜』の印象が強いんも分かるで。何せ、あんたの名前と、このキーホルダーから発想した曲やしな。あんたがこの曲に運命感じて、他の曲は耳に入らへん言うのも、ごっつ頷(うなず)けるわ」
 別に、「運命を感じた」とか、一言も言ってないんだけどね。
 でも、私の名前と、さくらの花びらの押し花キーホルダーから、その曲が出来たという話は、私にはたしかに印象的だった。
 そのあたりのことを、詳しく聞いてみることにする。
「私の名前とキーホルダーが、その曲名の由来なんですね?」
「お、やっぱ気になるわな。よし、話したる。俺の栄光の軌跡のうち、あんたに関係ありそうなとこをな。えっとなぁ、あんたのお母ちゃんは、胡桃っていう名前なんやけどな」
「ええっ?!」
 まただ!
 八重桜さん、本間さんに続き、この人も胡桃さんを私の母親だと断言している。
 この部分は事実なんじゃないかな……そんな気がしてきた。
 これだけ多くの人が、口をそろえて言っていることだから……。
 それに、写真によっては、胡桃さんは私に似ていると思うこともあるし……。

「えらいびっくりしたな。何でか気になるけど、まぁええわ。ふん、どうせ、あれやろ? その他の二人のヤツらも、胡桃っちが母親って言うたんやろしな。お? 図星やな!」
 私たちの顔色を見てそう言うと、一髪屋さんは少し言葉を切った。
 咳払いを一つして、そして話を続ける一髪屋さん。
「そいつらの話はともかくも……胡桃っちは、あんたを産んですぐ亡くなってしもてな。俺もショックで、歌手目指すん、やめたろかと思ったけども……俺のスター性がすばらしすぎて、事務所がそれを許さんかったんや。俺は成功を約束されてたんやけど……ぶっちゃけ、その時点ではまだ、あんたを養えるレベルの収入やなかった。ほんで、泣く泣くあんたと別れたんや。せやけど、何年かして、『わななき夜桜』でビッグになってやな。この曲は、あんたと胡桃っちのキーホルダーを見て、書いたんや。それが、俺のハイパーでスタイリッシュかつセンチメンタルな歌詞とあいまって、爆発的に売れたわけや。ほんで、あんたを養えるようになったと思った俺は、すぐあんたを迎えにいった。でも、もうその施設にはおらんって話やったわ。そら悲しかったけど、いつか会えるって確信はあったで。そういう運命やねんもん、俺らはな」
 ところどころ自身の成功を鼻にかけたような調子があったものの、心なしか一髪屋さんの口調は、さっきまでと打って変わって、優しく真面目な調子になっているように感じた。
「そんでな、昨日たまたまブログ見つけてな。びっくりしてん。そら、そうなるやんな。ブログ主、完全にあんたやて分かったもん。一発でな。俺の名前が『一髪屋』だけにな! ぐ、ぐふふ、ぎゃはは」
 前言撤回パート・ツー………ちっとも真面目じゃないし。
「まぁ、そんでやな。俺の今の状況を説明するとやな。そんなに前ほどぎょーさん曲は書いてへんねんけど、今までの名曲の数々をライブとかディナーショーで歌って、客を楽しませてる毎日や。今なら十分、あんたを養えるさかい、問題あらへんで。親子関係が証明された暁には、うちで暮らすとええわ」
 一髪屋さんには失礼だけど、この人が父親だとちょっと困るかなぁ……。
 気が、全く合わないっぽいし。
 一髪屋さんの話は、一段落したようだ。
「貴重なお話、ありがとうございました」
「いや、ええんやで。親子水いらず、言うてるやん」

 そこで、しばらく黙っていた涼君が口を開いた。
「それじゃ、来週の火曜に鑑定しにいきましょう。場所は調べてから、追って連絡します。きっと大阪にも、そういう鑑定をしてくれる会社があるはずですし」
「おう、モウリョウインの兄ちゃん、気ぃ利くな!」
「いえいえ、どういたしまして。名前は清涼院ですが」
 今度はクールに訂正する涼君。
 涼君は、一髪屋さんのこの調子に、疲れてないのかな。
 私はほとほと疲れ果てていたので、早く帰りたい気持ちに突き動かされて、言った。
「それじゃ、またその日に。今日はお忙しいところを、ありがとうございました」
「おう、こっちこそおおきにな! ああ、言うまでもあらへんけど、あんたら学生さんやろし、DHA鑑定団にかかる費用は、俺が全部出すさかい、安心しといてや」
「ありがとうございます」
 これは、本当にありがたかった。
 もう疲れきっていたので、「DHA」と「鑑定団」のところはスルーしておく。
「ええねんええねん。親子なら、当然のことやで。その日には間違いなく、俺とあんたが親子ってことが、あんたにもはっきり分かってもらえるわけやし、楽しみやわぁ。まぁ、そんなことで、また火曜にな。ほな、さいなら」
 立ち上がりながら、一髪屋さんが言う。
「今日はありがとうございました」
 涼君と私は立ち上がると、声をそろえてそう言って、軽くお辞儀をした。
 一髪屋さんは、背を向けて颯爽と歩き去りながら、右手を挙げて振っている。
 そしてあっという間に、公園の出口へ消えてしまった。



「行っちゃったね」
 一髪屋さんの姿が見えなくなると、私はつぶやいた。
「何だか、不思議な人だったね~」
 涼君が言う。
 確かに不思議すぎ。
 でも、それよりもむしろ……。
「私、あの人、苦手かも~。馬が合わないというか、気が合わないというか。正直、あの人が父親だったら、嫌だなぁ。一緒にいるだけで、疲れる感じだよ」
 つい、本音が出てしまった。
「実は、俺も得意じゃないかな」
 頭をかきながら涼君が言う。
 なんだ、私だけじゃなかったんだ。
 よかった。
 何が「よかった」なのかは、自分でもよく分からないけど。

「まぁ、でも、DNA鑑定の費用を全額負担してくれるのは、すごくありがたいから、悪い人ではないんだと思うよ。ただ、ほんのちょっと、とっつきにくいというか、人を寄せ付けないオーラがあるというか、そういう人だったよね」
 涼君の意見に、激しく同意だった。
 その表現はかなり、オブラートに包まれている感はあるけど。
 私はストレートに「馬が合わない、気が合わない」って言っちゃったな。
「たしかに、それはそうだね。悪い人ではないのかも、うん」
 仮にも、父親である可能性が出てきた人なので、私はそう思いたかった。