僕が車中の温度を逃がそうと窓を開けるとヒグラシの鳴き声が耳に入ってきた。

僕は夏恵の事を思い出した。

このすぐ近くにある高台の公園で、ヒグラシの鳴き声を聴きながら愛し合った夏恵の息遣いを思い出した。

不謹慎にも僕の思考は姉の事など消し去ってしまい、夏恵の身体と息遣いが支配した。

僕は必死に思考から夏恵を払い除けようとした。

父と母の事を考え、姉の事を考え、今助手席に居る明子の事を考えた。

だが全ては螺旋状に交錯しながら、やがて一つの太いうねりとなって夏恵に呑み込まれた。

僕の意思は無力になりつつあった。

無力になりつつある細い意思を僅かでも掴もうと強く目を瞑るが、真っ暗な視界の中で広がる光の粒は、やがてぼんやりとした残像になり、はっきりと夏恵を形作った。