その時、バス停にバスが到着する。

「ほら、乗って」
「比呂くんは……」
「俺は、用事を済ませたら帰るから。先に帰ってて」

比呂くんはそう言って、私の背中を押す。
その勢いで、私の足はバスのステップを踏んだ。

「用事って――」
「内緒」

比呂くんは柔らかく笑む。
その顔を見て、私は何も言えなくなった。
寂しげで、悲しげで、でもほっとしたような。

(まただ。なんで……そんな顔)

見えない壁が私達の間を隔てたまま、バスの扉が閉まる。

比呂くんの奴隷、それだけが私と彼を唯一繋いでいた。
そこに愛などなくても、彼に触れられる。必要とされていると錯覚できた、ただ一つの。

(だけど、もう……何も、ない)

走りだしたバスの中。比呂くんの温もりが僅かに残る手のひらを、私は無意識に握りしめていた。