目を覚ました時、いつもより日が高いことに気づいてミルザムは慌てて飛び起きた。寝ぼけたまま着替えて教科書を手に取ったところで、今日が十日間の授業を終えて初めて迎えた週末だったことを思い出した。
 薬師の師匠について働いている中で週末に休むという概念はなく、一年中どんな日でも仕事の合間に師匠と出かけては薬草や植物、気候や土のことを学び、薬を精製する合間に師匠が本を広げればその瞬間が授業になった。
講義と議論が始まるのは師匠の一言やミルザムの問いだった。師匠はある日言った。

「例えば、リノンが突然高熱を出したとき、何を処方する?」

ミルザムは、時折野菜や卵を届けてくれる幼い女の子を思い出しながら、特に深く考えずに答えた。

「解熱のために、風見鶏草とヨモギをすり潰して飲ませます。あと、お水をたくさん」

師匠は頷いて言った。

「相手がリノンでなければ正解だ。でも、お前はリノンを殺す気かね。あの子は肺を病んでいるから、風見鶏草は呼吸を止めてしまうかもしれないよ」

師匠の目は厳しかった。ミルザムは言葉に詰まったまま、薬を精製する手が止まりそうになったことに気づいて慌てて姿勢を正した。
師匠は言葉を継ぐように続けた。

「薬師も魔術師も、人を治療することはできない。自然の力を借りて、目の前の人に最も相応しい処置をするだけだ。その時、お前は知識や経験だけに頼って相手を殺してしまうかもしれない。相手のことをよく観察し、何が相応しいかいつも考え続けなければいけないんだよ。お前の答えは薬師として失格だ。課題を出すから、後で薬草を見積もってきなさい」

ミルザムは言葉もなく頷いた。

 思い出すと、師匠との勉強はいつもこうして唐突に始まり、薬草をテーブルいっぱいに広げては語り合った。あるいは、魔術書を開いて講義をすることもあった。講義の時はいつもノートをとることを許されず、言われたことを全て覚える心積もりでいなくてはならなかった。そして日が経ってから、そのことを覚えているかをこうして試されるのだった。
 試されるということを思い出したとき、ミルザムははっとした。週末が明けたら試験がある。今日と明日は集中して勉強しなければならない。授業と同じように準備をして、ミルザムは教科書を手に部屋を飛び出した。

 いつもより静かな廊下を歩きながら、もしかしたら皆部屋で勉強しているのかもしれないと思い至ったが、ミルザムは何より朝食をとりたかった。そして、最適の勉強場所を探すつもりだった。
 重い質感の絨毯が敷かれた廊下を急ぎ足で歩き、階段を下りていくと食堂のある階に出る。燭台ばかりが並ぶ広い廊下があまり好きではなく、慌てたように食堂の扉を肩で押して開く。幸い学徒は少なく、広い食堂はがらんとしている。ほっと息を吐きながらミルザムは朝食を注文した。珍しい肌の色をした料理人が食事を提供するのを待って、トレーに教科書と朝食を一緒に載せて空いている席に腰をおろした。そしてひそかに憧れていたように、師匠と同じく朝食をほおばりながら本を開いた。

 朝食を終えて食器を片付け、ノートも開いたところでミルザムは試験勉強とは何をすべきかわからなくなっていた。
 ノートはどれも途中で途切れていて、単語をつなぎ合わせた覚書のようになっている。
 教科書を開いても先生の話を聞いていても、それが何を意味しているか、何を言っているかはわかっているつもりだ。しかし、それをどう書けばいいのかわからないし、何を意図しているかわからないときもある。また、教師の問いが何を意味しているのかよくわからず、たとえ答えられても教師は次の生徒にあててしまう。一体どうしたらよいのか途方に暮れてしまっていた。師匠との学びは常に一対一で、師匠よりミルザムが話すことのほうが多かった。ミルザムは講義をきいてそれをまとめることも、紙に書き留めることもしたことがなかった。師匠が許さなかったのだ。それに、座りっぱなしではお尻が痛くなって話に集中できなかった。

「試験勉強?」

 すぐ近くで聞こえた声にはっと顔をあげると、そこには同じ学徒の少女が立っていた。手にはミルザムのものと同じ教科書とノートがある。ローブもミルザムと同じ支給されたものだが、その下には足首までまっすぐに降りるスカートを着ていた。全体は見えないが、夏らしい刺繍があしらわれているようだ。
 ミルザムがその紋様に目を奪われたまま会釈だけすると、少女はそのはす向かいにためらいがちに腰かけてはにかんだ。

「私も試験勉強なの。まさか毎週あるだなんて。でも、その分やりがいがあるわね。」

「試験…。」

 ぼんやりと繰り返したミルザムを見て、少女は不思議そうに首をかしげた。

「あなた、601号室のミルザムでしょう?私とは隣のハリールなのだけど、覚えはないかしら」

 ミルザムは思い出そうとしてみたが、振り返る記憶は授業のことばかりだった。年齢も服装も似通っている学徒たちのことをどのように区別するか、またその必要性もよくわからなかった。彼女はぽかんとしているミルザムの様子に困ったように笑って言った。

「お喋りする余裕もないみたいね。私は図書室に行くから、気が向いたらいらっしゃい。一息ついたらお茶でもしましょう。あなた、面白い話が聞けそうだから。」

 思いだそうとしているままのミルザムを置いて、ハリールと名乗った少女は教科書を手に食堂を出て行った。
 図書室というものが、そういえばあったようだ。ミルザムは広い食堂を見渡して思い出した。重厚な、磨かれた黒い木材でつくられたテーブルと椅子が並び、茶色を基調とした広い食堂は、勉強をするのにいい環境かと考えたが、どうやら彼女にとってそうでもないらしい。ミルザムは昼食用の木の実をいくつか包んでもらい、教科書を抱えて外に出た。