「乾君、はやまらないでね。あなたは、まだ二十四――――」
――――歳なんだから。
その言葉を遮って、彼は私をエントランスの壁に押し付け、唇を重ねてきた。
「っ!?」
驚きに目が見開く。
少し乱暴なキスは、私の言葉を止めるためだけのキスだったのか、彼の唇はすぐに離れていった。
壁に押し付けられたまま動けずにいる私を、乾君はじっと見つめたまま言葉を続けた。
「そういうの、聞きたくないです。聞きたいのは、碓氷さんの気持ちです」
年の話なんて、どうでもいいいってこと?
だけど、どう考えても勢いでこんな行動に出ているとしか思えない。
乾君は、冷静になろうとしているのか、言葉は静かに落ち着いているけれど、行動は裏腹だ。
押さえつけられた壁の冷たさが、私の背中を冷やしていく。
乾君にしてみれば、数ある恋愛のうちの一つなのかもしれない。
だけど、既に三十を超えてしまった私にとっての恋愛は、楽しいだけでは済まない。
結婚というワードを、ないものとしてはできない恋愛が存在しているんだ。
遊びでならいくらでも、なんて不誠実なことはいえないけれど。
聞きたくないなんて、目をそらされても困る。
かと言って、その若さで真剣に結婚を考えられるのも気が重い。
それが今の私の気持ちだった。
だから。
「聞きたくないって言われても――――」
私がもう一度言葉を口にしようとすると、乾君は、またも唇で言葉を塞いでしまう。
そうしてまた、すぐに離れていった。
「僕の気持ちは、どうやっても変わりません。碓氷さんが好きなんです。他の誰にも触れさせたくない」
彼の告白が、ずんと心の中に衝撃を与える。
ストレートすぎる感情が、私を直撃してくる。
それは、若気の至りだって思う。
エネルギーが余っているせいだって思う。
勢いだけだって思っている。
だけど、彼の中にある真っ直ぐな気持ちが、少しも曲がることなく私の心へ響いてくるのも確かで、嬉しさが滲み湧いてくるのも事実だった。
ドクドクと心臓が鳴り出す。
この状況に危機を感じているからじゃない。
彼の気持ちが私の気持ちを揺さぶっているんだ。
「僕と付き合ってください」
高校生並みの真っ直ぐな気持ちは、素面だったら笑い飛ばすことができたのだろうか。
この真剣な目も、強気で強引なやり方も。
素面なら笑い飛ばすことができた?
けど、飲んでなくても無理だったかも。
だって、凄くうれしいって感じている私がいるから。
心臓が正直に反応しているのだから。
河野にキスをされても、ただ動揺しただけだった。
プロポーズされても戸惑いと躊躇いだけで、嬉しいという感情にはならなかったじゃない。
なのに、今私の心臓はドキドキと目の前の乾君に反応している。
甘酸っぱくて青臭い、当の昔に忘れ去られた感覚がこれでもかってくらい揺さぶられている。
だったらこれは、きっと。
結局、私はこれといった気持ちひとつも話させてもらえず、彼に唇を奪われ続けた。
そのキスが心地よかったことを、否定する言葉はひとつも出てこなくて。
彼にだけ芽生えた、心地よくて幸せな空気に酔いしれるばかりだった。



