躊躇いと戸惑いの中で



本社に戻ると、そこは静かなものだった。
フロアに居るのは経理くらいで、ほとんどがまだ新店へ出向いたまま戻っていない状態だった。

「河野は?」

このあとどうするの? と訊ねると、既存店廻りに出かけるらしい。

「一緒に行くか?」
「遠慮しとく。新店にかまけすぎてね。後回しになってるもの片付けちゃいたいから」

河野に片手を上げて見送ってから、給湯室へ向かった。

「仕事の前に、コーヒー、コーヒー」

廊下を歩いて行く途中にあるPOPフロアをチラリとのぞけば、昨日まで休むことなく稼動していたプリンターの音もなく、中は静かなものだった。

「ここも静かね」

またしばらく、穏やかな日が続くかな。

ちょっとのぞき見て直ぐに踵を返すつもりだったけれど、奥の方でなにやらカサカサッと怪しい物音が聞こえてきて眉根を寄せた。

誰も居ないよね……。

怪しい物音に不安を掻き立てられながらも、何かあってからじゃ遅いと静かに踏み込む。

不審者?
泥棒?

安易な考えを思い浮かべながらも、嫌な緊張にドクドクと心臓が鳴る。

もしも、襲い掛かられたらどうしよう。

咄嗟に身を庇うか攻撃するかしなくちゃ、と周囲に視線を走らせ、机の上に投げ出されたままの三十センチ定規を手にした。

一歩二歩と、物音のする方へ忍び足で近づいていく。
すると、大きなポスター用のプリンターの影に、なにやら動く人影が見えた。
瞬間、ヒッと声にならない声を漏らしそうになり、慌てて口を押さえる。
何とか気持ちを抑えつけ、定規をぎゅっと握り目の前に構えて声を出した。