躊躇いと戸惑いの中で



お店に着いて待ち合わせだと店員へ告げると、乾君は既に来ていて、奥にある個室の席で待っていた。
粗い格子の壁で区切られただけの個室は、周囲で盛り上がるほかのお客たちの笑い声や話し声が筒抜けだった。

「ごめんね。待ったよね」

謝りながら堀のテーブル席に着き、私が目の前に座ると、乾君は笑みを浮かべる。
それが、余りにも嬉しそうで、その気持ちがよく解りすぎた。

彼の笑顔を見ていると、結婚抜きの恋愛に現を抜かしていられた二十代までの自分を思い出す。
ただ、好きな人に逢えるという事が、純粋に嬉しくて。
逢えた時の気持ちの高ぶりが、自然と表情に出る。
駆け引きも何もない、とても素直な感情だ。

恋愛自体ご無沙汰のせいか、そんな表情で迎えられたことに、私はとても新鮮味を感じていた。
さっきまで、河野に感じていた後ろめたい気持ちなど、その瞬間には忘れてしまうくらい。

好意を抱かれれば、悪い気などしないもの。
乾君の笑顔が自分に向けられているんだと思うと、自然とこっちまで嬉しくなってくる。

「仕事、大変?」

頼んだビールが届き、グラスを合わせたあとは、無難な会話を持ちかける。

「コンピューターの使い方も慣れてきたし。あとは、バイトとの信頼関係ですかね」

相変わらず、人を使うのには苦戦しているのだろう。
苦笑いをこぼして、ビールを口にする。

「碓氷さんは、凄いですよね。女性なのに、なんていえば、ちょっと気分が悪いかもしれないけれど。下にいるのはほとんどが男性の店長や社員たちじゃないですか。その人たちを纏めているわけですよね」

「ああ、でも。一応統括で全体は見ているけど、店長を纏めているのは、河野や小田さんだからね。特に河野は、社長に買われてるから」

「え? 社長に買われているのは、碓氷さんですね?」
「まさか。河野よ、こ・う・の」

社長が信頼を寄せているのは、河野の方だ。
あんなにたくさんの店舗を纏め上げて、売上だって伸ばし続けている。
総務なんて、利益を上げる部署でもないし。
統括なんて肩書きは貰っているけれど、周囲がその肩書きどおりに私を見ているとは思えない。
小生意気な娘に指図されて、悔しい思いをしている輩はウヨウヨいる。
それに、売上があってなんぼですから。
社長だって、私よりもしっかりと利益を出す河野を可愛がるでしょ。