Sweet Honey Baby

 先に気が付いた一也に、拾われたのは先ほど出くわした昔馴染みに渡された一枚の名刺だった。




 「…なんだ、これ」




 名刺を確認した一也の眉間が、一瞬険しくなった気がする。




 「なんでもないよ」




 有無を言わさずひったくって、無造作に二回ちぎって、テーブルに残す。




 「…いいのか」

 「いいよ、必要ないし。ほら、行こう」




 溜息を一つつき、やっと一也も立ち上がる。


 でも、目に見えて不機嫌なのは明らかで。




 「…あれ、どうしたんだよ」




 やっぱり、蒸返したかと、内心溜息。




 「さっき、ナンパされた」

 「は?…そんなもん後生大事に持ってるなよ。つーか、そもそも受け取るな」

 「まあ、それはね。でもほら、さすがに目の前で捨てるのも悪いし…」




 ちょっと苦しいか。


 知り合いにもらったといえば、なんで知り合いなのにいまさら名刺もらうんだ、とか、そうでなければどういう知り合いなんだと根掘り葉掘り聞かれるのも困る。




 「…お前、自分の立場わかってんの?」




 なんだか、氷点下に気温が下がっている気がするのは気のせい?



 ここのところあった一也との柔らかい空気のようなものが失せていて、何気に初めて会った頃のような冷たい目がちょっと怖い。


 いや、怖いってなんだ。


 怖いって。


 一也なんて、しょせんまだ高校出たばっかりのガキじゃない。


 そう自分を奮いだたせるのに…。




 「聞いてんのかよ」

 「…何よ、立場って」

 「お前は俺の婚約者なんだろ?」

 「……」




 そうだ、って言えばいい。


 本当のことだ。


 今までのように、「どうせ、親が勝手に決めただけの婚約者じゃん」って。


 それなのに、野生の獣みたいに怒りで爛々と目を光らせている目の前の男に、それを言うのが、今更ながらに躊躇した。


 …だって、傷つくんじゃないか、なんて。


 バカみたい。


 そんなわけないじゃん。


 そう思う裏側で。


 一也のこの憤りの意味を、デートに誘ってくる彼の気持ちを、突き付けられるのが怖くて、気が付かないふりを続けたかった。


 だから、嫌なのに。


 親しくなんかなりたくなかったのに。




 「…返事もナシかよ。お前やっぱり、自分の立場ちゃんと理解してねぇな?俺が甘すぎたってか?来いっ」










 手首を掴まれて、半ば引きずられながら引っ立てられた先。


 女を連れ込むのもそこらのラブホテルなんかじゃなくって、超一流ホテルのスウィートルームだなんて、やっぱり並の奴じゃないなと、妙な感心をしている余裕も途中でなくなった。


 たかが名刺じゃん。


 ナンパされただけだよって。


 それなのに、ただそれだけのことで嫉妬して、泣きそうな顔してるこいつに申し訳ないなんて、あたしが思う義理も理由もないはずなのに。




 「…俺を見ろよ!」

 「うっ」




 素肌の胸の頂に齧りつかれて、背中がのけ反る。


 どこもかしこも、赤黒い鬱血を咲き散らされて、独占欲の証を刻み込まれた。


 ダメなんだよ。


 好きとか、愛とか、そういうのはもうあたしはいらない。


 そう思うのに、どうしてこいつを無視できないんだろう。


 『婚約者』なんてお為ごかし、笑えるくらいなのに。


 やっぱ、見た目も実年齢もヒヒジジイってやつじゃないのがネックだったかな。




 「お前の余裕はムカつくんだよ!俺以外の他のことなんて、考えられないようにしてやる!」




 必死で保っていた理性も引きずられ、一也に言われなくったって何も考えられなくなった。


 ただ目の前の切ない顔であたしを貪る一也以外、体中を疼かせる熱以外今は何も…。