Sweet Honey Baby

 最初、あたしが声をかけられてるってわからなかった。


 そりゃそうだ。


 あたしは千聡でミカなんて名前じゃない。


 けど、そのまま呼びかけてきた男の人の声を無視して通り過ぎようとすると、肩に手をかけられ振り向かされた。




 「きゃっ、なに?」

 「あ、ごめん。でも、やっぱり、ミカちゃんだよね!?」




 確信に満ちた声に、怪訝に相手の顔を見直す。


 特に美形でもないけど、仕立ての良いスーツを着て、品が良くって穏やかそうな大人の男の人。




 「あ…」




 目じりの泣きぼくろが、ふと、記憶に引っ掛かった。




 「思い出してくれた?良かった。ずいぶん、感じが変わっていたから、声かけるか迷ったんだけどね」




 …たしか、某一流企業の証券マンだというその男性は、




 「松山さんですか?」

 「そう!すごい久しぶりだね」




 4年ほど前、クラブのバーでナンパされて、2,3か月ほど付き合っていたセックスフレンドの一人だった。




 「最後に会った後、俺、転勤の辞令が下りてNYに2年間行ってたからさ。先月日本に戻って来たばかりなんだけど、まさか、ここでミカちゃんに会えるとは思わなかったよ」

 「…はあ」




 あたしもよもや昔の遊び相手に出くわすとは思わなかった。


 まあ、よく考えれば、この変の近場のクラブやバーは、当時年を誤魔化してよく遊び歩いてたから、その時の知り合いがいても不思議はなかったのかもしれない。




 「しかし、驚いたな。雰囲気も変わったけど、若返ってるっていうか、もしかして、あの頃年、誤魔化してた?」

 「…はは」




 そのとおりで、元々長身で、バタ臭い顔立ちをしてたから、化粧の仕方次第でけっこう年より上に見せることなんて簡単だったし、むしろスッピンに近いことの方が多い今の方が若く見られるのかもしれなかった。


 まずいな。


 名前なんて言い当てなきゃ良かった。


 そのまんま知らんふりしてた方が良かった気がする。


 昔の知り合いに会うことなんてずっとなかったから、つい気が緩んでた。




 「これ、俺の新しい名刺。ミカちゃんとはちゃんとお別れしないまま、音信不通になっちゃってたからさ。裏に携番とメアド書いておくから、良かったら連絡してよ」